古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

『真珠湾の代償』から引用します。

2022年07月19日 15時29分53秒 | 古希からの田舎暮らし
先日から読んでいた本『真珠湾の代償』(2022.5月刊/福井雄三 著)から一つだけ引用します。こんなことが書いてありました。


 ここで一つ興味深いエピソードを紹介しよう。8月8日(昭和20年の7日後に敗戦になる)にソ連が参戦し、日本が絶体絶命の孤立無援、四面楚歌の状態になったとき、近衛(文麿 総理大臣をしていた公家)は側近に次のように語ったというのだ。
「もうこうなったら天皇は退位するべきですね。そうすることによって皇室を守ることができる。やはり陛下はこの戦争に責任がある。軍艦にお乗りいただいて戦死していただくのが一番よい。自決していただくのがもっとよいと思いますがね。そうすれば国民も軍も無条件降伏することに納得がいくでしょう」
 にわかに信じられるだろうか。これが藤原鎌足から46代目、天皇家に最も近い高貴な家柄である近衛家の当主の口から出た言葉なのか。  


 どんな視点で、何を伝えたいのか。よくわかりません。〈外交官・加瀬俊一〉の評伝として書いた本ですが、あの戦争とのかかわりが散漫に書かれており、ぼくは「読むほどの本かな」という気がしました。「読もう」と中古本をもとめていた加瀬俊一の『ワイマールの落日』/『評伝アドルフ・ヒトラー』にとりつきます。

 道子さんが植えてる「ほうき草」(コキア)の写真です。種が落ちて、あちこちに苗ができています。それを玄関先に植えて、それがすくすく育っています。この草は秋になると見事に紅葉します。あちこちで『コキア祭り』がひらかれ、観光客が訪れます。
 茨城県の「ひたちなか海浜公園」では春のネモフィラ祭りにつづいて、秋にはコキア祭りがあります。写真を見ると実にうつくしい。ぼくは、むかし(少しまえまでは)「死ぬまでに行ってみたいところ。埼玉県・巾着田の曼殊沙華(彼岸花)まつり(500万本の彼岸花)/ひたちなか海浜公園のネモフィラまつり/コキアまつり」と思っていました。でも、行って、見て、「あー、見た見た。これで死んでもええ」ということになるだろうか。実際に見ることより「見ることに憧れてる」ときが「華」ではないか。さいごまで行けなくてもいい。そんな憧れがある。それがいいのじゃないか。
 そんな気持ちになってきました。もしどこかに行くとしたら、やっぱり「うまれそだったふるさと」がいちばんだな。
コメント
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