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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

草刈りをしました。

2010年05月14日 03時08分15秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 写真はうちの畑の土手を南側の下から撮ったものです。この田んぼの持ち主が以前製材所をしておられたので野積みになった古い材をもらって、ぼくが三年前に草刈りの足場をつけました。この足場がなかったら年に八回(ことしは4月をパスしたので7回になるでしょう)も草刈りはできません。70歳を越すようになると斜面で踏みこたえる力が弱くなります。草刈り機を振りまわしてよろめいたら、そのまま下まで落ちてしまいます。
 大怪我をすれば畑仕事はもうできません。そこではじめての草刈りをすませるとすぐに足場をつけました。孫たちにはこの足場は危ないから歩かないようにいいきかせていますが、いまでは4歳の大志くんも畑に来ると一回は歩いています。おじいちゃんはこの頃「歩きたいのは子どもの冒険心だから仕方ないか」と注意するのをあきらめました。もし足を踏み外して下まで滑り落ちても溝の泥に足を突っ込むくらいですむでしょう。(ついでに言うと大志くんは墓場の下の泥の溝にも興味をもっていて、畑に来ると棒切れか手で掻きまわしているようです)
 この土手を刈るぼくの手順はこうです。まず上の畦を内側向きに刈ります。次に足場に乗って手前から向うに足場の上側を刈ります。斜面の草が少し残るのでそれは畦の上から刈ります。次に足場の上にたまった草を熊手(レーキ、さらえ、このあたりでは「がんじき」とも呼ぶようです)で上に掻き揚げて足場をきれいにします。
 今度は手前から向うに足場の下側を腰をかがめて刈っていきます。一番下の部分は下のうちの畑に下りて刈ります。足場の下の草はまず足場の上まで掻き揚げ、それをまた畦の上まで掻き揚げます。今回はスギナやギシギシの量が多く、何度も熊手を振り上げねばなりませんでした。
 ずいぶん手間を掛けますが、きれいに刈りたいという気持ちがあるからできることです。もし「どうでもええ。とにかく刈っておけば」という気なら、危なくてしんどいこんな作業をする気力はもう出ないでしょう。
 給料をもらって仕事をするとか義務として課せられた仕事をする、というのでなければ美学というか美意識というか、何かそういうものが人間の行動する力を支えてくれます。草刈りでも草抜きでも掃除でも片付けでも洗濯でも洗髪でも髭剃りでも入浴でも歯磨きでも……。
 
 
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サツマイモを植えなおします。

2010年05月13日 05時00分46秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 真竹のタケノコが生えてきました。ネットを見ると「タケノコは8月に切るのがいい。その頃には根の栄養分を使い果たして一人前の竹に成長しているから、次に生える力がおとろえる」と書いてあります。でもそのサイズに生長してしまうと切って片付けるのが難儀です。だから背の高さになったらカッターで切るつもりです。
 でももしなんらかの事情でタケノコを切らなくなれば、せっせと竹を切って木を植えたのに二年で完全に元の竹薮に戻ってしまうでしょう。木を植える穴を掘ると、竹の根が四層になって出てきます。それが網目のように地下一面に張りめぐらされているのですから根を掘り出さないことにはどうしようもありません。又八さんのホームページを見ると、2000本の真竹を切り倒し、4トンのユンボで根を掘り出し竹を埋めておられます。その仕事のすごさをあらためて思いました。
 ことし一回目の草刈りをすませました。南の土手はスギナ、ギシギシがしっかり伸びて刈った草を土手の上に掻きあげるのに一苦労しました。できれば次の雨までに燃やして草木灰をつくろうと思います。サツマイモには草木灰がとてもいいです。
 東側の土手は草の種類が少ないしあまり伸びません。そこでことしカボチャとスイカのつるを這わせようと思います。苗がつるを伸ばす頃に草を刈り、つるを下に誘引します。カボチャやスイカができれば座布団というか棚をつけて転がらないようにします。
 ところでサツマイモですが、気温が低いので生長の勢いがつきません。いまのところ順調なのはコメリで買ったウイルスフリーのベニアズマで、あとはもうしばらく様子を見ないとなんともいえません。ダイキで安く売っていたナルトキントキの苗30本は全滅しました。毎日水をやって一本一本に意識を向けると、日々消滅していくのがわかります。植えなおすしかありません。
 安納芋の苗20本は生き残りそうです。ことしは安納芋の焼き芋をたっぷり賞味できそうです。
 ポットに埋めた落花生の芽が出てきました。ナメクジ対策をしなければなりません。あのナメクジというヤツは生意気にもビールは好きだし落花生も好きなんです。去年はポット苗30本がやられました。掘り残した落花生が畑に生えていたのでなんとか100本植えましたが、去年と同じようにはやられたくないとナメクジに対抗心をもっています。ぼくは人間はナメクジよりえらいと思っていますから。また報告します。
 
 
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コープみずほ農園に堆肥をもらいに行きました。

2010年05月11日 05時34分33秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 気になっていたことの一つが、畑から我が家への道の清掃でした。道路わきのセメントとアスファルトの境目に草が生え、落葉や小枝が草に引っ掛かり、クヌギやコナラの穂のような落花が吹き寄せられて、どことなく荒れてわびしい雰囲気でした。
 そこで孫たちが帰ったあと、まずナイロンコードを草刈り機につけて道端の草を刈りました。それから刈った草や落葉小枝をレーキで集めて捨て、残ったゴミを竹ぼうきで溝に掃き落とし、溝をさらえてきれいにしました。100メートル余りの道をきれいにするのに二日かかりましたが、畑の行き帰りが気持ちよくなりました。我が家へのお客さんは気づいてくれるでしょうか。
 コープみずほ農園からもらってくる堆肥入れが二つとも空っぽです。これから落花生のうね(100株植えるので40メートル必要)をつくり、大豆、黒大豆、夏野菜のうねをつくるのにも必要です。雨で畑仕事ができないし本降りの雨でもないので、きのう農園にもらいに行きました。
 いつものように堆肥置き場のセメントの床に大きなパワーショベルでどさっと置いてもらい、雪かき用のプラスチックシャベルで70リットルのビニール袋に入れていきます。18袋になりました。去年の秋もらったより多いようですが押し込むように軽自動車の天井に届くまで積みました。
 まっすぐ帰って畑の円筒形の堆肥入れに入れてみると、たしかに多い。去年の秋は一つが一杯になり、もう一つは八分目でしたが、今回は二つの堆肥入れが一杯になり、あと二袋はほかにしまいました。要領がよくなったのでしょう。
 堆肥を下ろしたあと窓を開けて掃除をしました。きょうはお客さんを迎えに行く車です。においは消えたかな。先日お訪ねした田舎暮らし一年先輩の保健衛生委員の方が「やっぱり軽トラは便利ですよ。ちょっと堆肥や草刈り機を積み込んで仕事に行くにしても、ホームセンターでベニヤ板や角材を買ってくるにしても」と奉仕作業のとき話しておられました。そうなんだろうなー。
 老人クラブの会長さんに「軽トラをいつでも使ってくださいね」と言われているのですが、一度借りて材木を運んでいて坂道で立ち往生してしまいました。長年オートマにばかり乗っていて、マニュアルシフトがうまくできません。それと道子さんはオートマ限定免許だし。思案中です。
 
 
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ヒヨよ! イチゴは食べさせないぞ!

2010年05月10日 03時14分57秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 連休に食べるのは無理でしたが、イチゴが赤くなりはじめました。そこで子や孫たちが日曜日にイチゴ狩りにやってきました。ネットの中に入ろうとしたら赤くなったイチゴが三つ畝間にコロリ。ヒヨドリの仕業のようです。ネットを張って完全にシャットアウトしたはずなのにどこから入ったのでしょう。
 でもおじいさんは数日前に草刈りをしたとき、ネットの中を飛んでいたヒヨドリを目撃していますし、地面近くから外に出たのも見ています。そこで子や孫たちは『ヒヨドリ被害』の経験豊かなおばあさんの指導で、ネットにテグスとキラキラテープを張ってヒヨドリを防ぐことにしました。
 写真はネットのぐるりにキラキラテープを切って結びつけているところです。おじいさんが畑に来てみると、結びつけたテープがキラキラしてなにごとかと思うほどです。おばあさんは「おじいさん、わたしはテープを切っただけよ。あの子たちがあんなふうに結びつけたの。こんなににぎやかになって、村の人にはずかしいわ」
 いつも柴犬を連れ高い杖をついて散歩するおじいさんが、テープを見て畑に上がってきました。おばあさんとなにごとか話しています。あとできいてみたら「ヒヨドリの被害をゼロにするのはむずかしい」という話のようです。
「あいつは地面とのちょっとしたすき間でもくぐって入ってくるからなー。入ったら徹底的に食い荒らすしなー。ヒヨに絶対食わせんとこと思ったら立ち番でもするしかないわなー。朝は特にねらわれるから気イつけなはれや」
 先日散歩をしたとき、イチゴをつくっておられる菜園ではどうヒヨドリを防ぐか見て歩きました。丈夫な目の細かい動物ネットを張っておられたところは一軒だけでした。あとは我が家も使っている防鳥ネットをトンネル状にかぶせてありました。まったくの無防備イチゴ畑も数軒。
 ヒヨドリにもナワバリがあるのか我が家のおいしいイチゴを命をかけてでも食べたいのかわかりませんが、とにかくひと月ほどたたかいはつづきます。子や孫たちの「イチゴは全部人間が食べる」という固い決意に背中を押されて、おじいさんおばあさんは頑張るつもりです。
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みんなちがってみんないい。

2010年05月08日 05時11分11秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 朝から雨です。山仕事も畑仕事も散歩もできません。それできのうブログでふれた保健衛生委員の方のお宅を訪ねました。田舎暮らしではぼくより一年先輩になり(定年退職後すぐに行動を起こされたのでぼくよりひと世代お若いのですが)、絵に描いたような田舎暮らしをしておられます。
 お訪ねしてまず目についたのが庭先の手押しポンプです。ちゃんと生きているポンプで、軽く押すときれいな水が出ます。鉄分が多くて飲用にはならないそうですが、植物には素敵なミネラルウオーターでしょうね。
 手押しポンプでバケツに水を汲んで、ひしゃくで庭木や花に水をかけてやる。夏は庭先に打ち水をする。キュウリやトマトやスイカをとってきたら冷たい井戸水をタライに汲んで冷やし、おやつに食べる。冷蔵庫や水道ホースの散水とちがい、なんともいえない情緒があります。
 不動産情報でこの民家を手に入れたとき、井戸が生きていることを確かめ、まず買ったのが手押しポンプだそうです。「よく売ってましたね」ときいたら、地元のナンバというホームセンターにはあったそうです。さすが地域密着のホームセンター! 
 しっかりしたつくりの民家に入らせていただきました。玄関は広い土間をエル字型に囲む上がりかまちがあります。長年使い込んだ木の放つ存在感にしばし見とれます。上を見ると裸電球が天井に。西洋皿を逆さにしたような昔の電燈の笠がついています。
「空襲の灯火管制のときはこれに風呂敷を掛けて結びましたね」といいましたがこれは不発。ぼくが小学校(当時は国民学校といいました)に上がった昭和19・20年頃のことですからだれも知らない、か。「それにしてもよくこんな笠がありましたね」「倉庫に古いものが入っていて、整理したら出てきました。蛍光灯がついていたけどこの玄関にはこれが似合うと思って……」さすが田舎暮らしの達人!
「家をさがしてたときこの家に出会ってたら飛びついたでしょうね」と道子さん。きっとそうでしょう。家に帰って昼寝のあと裏の山を歩きウッドデッキでお茶を飲み、金子みすずの詩を思いました。
 “みんなちがってみんないい” ほんとにそうですね。 

 
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お訪ねするのをたのしみに。

2010年05月07日 04時09分46秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 2日の日曜日は、年に三回ある保健衛生委員の奉仕活動日でした。口吉川町の各から16人の委員が出て、道路わきの清掃作業をします。桃坂の信号から上がって東条町との境目の峠、桾原の信号から上がって東条町との境目の峠、オリムピックGCの前を通って三木市細川町に抜ける道の峠の三ヶ所で道路わきの草を刈り、ゴミを拾います。
 空き缶、空き瓶、弁当ガラ、パッケージなどを二時間かけて拾い、ざっと軽トラックに一並べするくらいのゴミが集ります。写真は道路わきで集めたごみを仕分けしているところです。お駄賃としてコンビニでパン一個と飲み物をもらって駐車場で食べて解散します。
 みなさん、背負い式の草刈り機を軽トラに積んで集合し(背負い式は使いやすいそうですがとても重い)、旧知の人同士で気安くおしゃべりされるので、軽自動車のシートを倒して草刈り機を積み込んだぼくは見守るだけでした。100年以上の歴史のある口吉川小学校からの友だちですから、多少年齢に差はあってもとっても親しそうです。
 ところが3月の引き継ぎ会で誰が次期代表になるかを話し合ったとき、となりのの人が会長になりぼくは副会長になってしまいました。なんとか辞退しようと「三年前に引っ越してきたばかりで何がどこにあるかわかりませんし……」(ほんとは番谷もふくめて全部知ってるけど)と言ったところ「そんなもん関係あらへん。会計になる人やって数年前に引っ越してきたばっかりやで」と軽く一蹴されてしまいました。
 先日の奉仕日にきいたら、島根県生まれで(鳥取県生まれのぼくと同じ山陰出身)関西で働いておられたけど定年で退職して、4年前からこちらに暮らすことになったそうです。「この地に親戚とか知人がおられたのですか」「いいえ、不動産情報で今の家を手に入れました。家庭菜園程度の畑をつくり、米も一反つくってます。素人ですがなんとか。中古農機展示会のような倉庫ですよ」
 やー、すごい! 「一度訪ねたいですが」「ぜひ来てください」
 パントリーにアリが侵入したり、イチゴネットを張ったのにヒヨドリが侵入練習をしたり(イチゴはまだ赤くない)、サツマイモを植えたので水やりをしたりでまだ訪ねていませんが、きょうは雨が降るようだし行こうかな。
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なんであんな苗を売るのだろう。

2010年05月06日 03時01分14秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 裏山のてっぺんにつくったブランコの前は平らになっており、木漏れ日とさわやかな風の快適なスポットです。そこで孫たちの家族は裏山で昼食をとることを思いつき、おにぎりとサンドイッチをつくりました。おじいさんは、60歳以上の人が一気に登ると息の切れる坂を登り、やっと食事にありつきました。一枚パチリ。
 サツマイモは20メートルの長さで4うねありますが、そのうち半分ほどに苗を植えたところです。でも植え付け計画をはじめからしっかり考えて、いちばんいい時期に一気に植えてしまうほうがいい。
 まず少し植えてみるとか、生長したつるを切って植え、増やしていくやり方は手が掛かるし気をつかいます。自家用だけでなく『芋掘り』をたのしんでもらうためにたくさん植えるのですからツギハギ植えは来年からやめようと思います。植えて十日ほどは水やりが大切ですが、補植したらホースを引っ張って目印をつけた苗に水をやらねばならんし。
 さて安納芋ですが、ことしは人気上昇でどこでも売るようになりました。そこでバイケミ見学のあと水田種苗店に寄ったときに20本買いました。二日しおれさせてから水に一晩つけて植え、いまのとことろ順調に育っています。
 ダイキで買ったナルトキントキの安売りの苗はほぼ全滅状態です。30本植えて5本つくかどうか。ついたところで芋のできがわるければどうしようもありません。30本200円で安売りしていましたが、サツマイモは枯れたようになっていてもつくから試してみようと思ったのが間違いでした。
 そこまで痛んだ苗を安売りするというのはどういうつもりでしょうか。道端で無責任に売るのでなく店を構えたホームセンターが。去年植えたベニアズマのバイオの苗は枯れたようになっていたのに立派に育ち、いい芋がたくさんとれました。根も短いし細い枯れかかったこんな苗で大丈夫だろうか、と心配したタマネギは大きく育ち、人にあげることができました。しかし植えて10日になるダイキのナルトキントキはそうはいきませんでした。いま消滅しつつあります。
 店のホームページにメールして指摘するつもりです。
 
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イチゴ用の防鳥ネットを張りました。

2010年05月03日 00時44分02秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 イチゴの防鳥ネットを張りました。去年の春、細川町の藤原惺窩の生誕地のを散歩していて、新しい家を見かけました。庭を手入れしていた方に話を聞いてみると前の年に神戸市須磨区妙法寺から引っ越してこられた方で、家の裏に案内してくださいました。
 200坪くらいの畑になっており、全体に高さ2メートルの防鳥ネットが張ってあります。「こうしとけばどの野菜も鳥に食べられません。ヒヨドリは大食漢ですからね」そうですそうです。ヒヨドリはブロッコリーなんか丸坊主にしてしまいます。
 大豆畑トラストをみんなでやっていたときは、300坪の防鳥ネットを張って、ハトが大豆の新芽を食べるのを防いでいました。あれは大豆を播いて二週間だけのネットですが、それを年中張っておられるというのです。
 ちょうどイチゴが赤くなる前でしたから、早速このやり方で防鳥ネットを張ることにしました。去年もブログで紹介しましたが、快適なイチゴ狩りができました。ことしはイチゴを三畝に増やしましたから100坪用のネットを張ることにします。
 縦14メートル横6メートルのイチゴ畑の四隅に高さ1メートルの杭を打ち込み、それに中央のたるみを想定して高さ2,2メートルの竹の柱をビス止めしました。それに針金を張って、その上にネットを張っていきました。間の柱をなくしたら自在にネットが滑って張りを調整しやすいと思いましたが、世の中はそんなに思い通りにいかないものです。道子さんと娘たちに協力してもらって調整し、やっと張ることができました。反省ですが、長い辺は中間にもう一本柱を立てるほうがいいです。10メートルを越すと針金のたるみが大きくなります。
 一昨年まではトンネル型の防鳥ネットをめくり、手をくねらせてイチゴを採っていましたが、やっぱり自由にイチゴを採れる空間は気持ちがいいです。
 イチゴの畝は写真のように中央が谷になる形にしてマルチを切ってありますから(押えに竹を置いている)、雨が降れば水が入り、液肥なら簡単に追肥できます。それとこれは秘密兵器ですが、実は去年9月に長野県のカンテンパパ工場を見学したとき海草の肥料を買い、畝をつくるときに入れました。これが効きそうな気がします。イチゴ天国到来の予感!
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『ニューギニア大密林に死す』

2010年05月02日 03時09分00秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
『ニューギニア大密林に死す』副題〔前人未踏の熱帯雨林六百キロの撤退路〕(光人社発行・NF〈ノンフィクション〉文庫)は、ことしの3月に発行された文庫本です。もともとは昭和44年(1969年)1月に『地の果てに死す』という題で原書房から発行された単行本です。たまたま本屋で見かけて、いま読んでいます。265ページの本の半分130ページまで読んだところです。
 そんな分厚い本でもないしむずかしく書いてあるわけでもないのに、なかなか読みすすめられません。太平洋戦争末期の昭和19年(1944年)のニューギニア戦線ですが、戦争に影響のあった歴史的事実が書いてあるわけでなく、見捨てられた日本軍の撤退の様子が書かれているだけです。
「大むかしの軍隊の苦労話をそんなに難渋して読むことはないからやめればいい」と思うのに投げ出せません。読むのがつらいのに心は離れないのです。もう一ヶ月、出掛けるときにカバンに入れ、少し読んではやめ、また少し読んでいます。
 テレビや新聞からはやりきれないニュースが入ってくることがあります。女性への暴力、児童虐待のニュース、家庭の人間関係が崩れて、DV(ドメスティック・バイオレンス 主に夫婦など男女間の暴力)や家庭内暴力(主に子の親への暴力)から起った殺人などの事件が報道されるとつらくて目をそらしてしまいます。
 ぼくたちがはじめてバイケミの事務所を訪ねたとき、会社の小西さんと西田さんは時間をとっていろんな話をしてくださいました。とんでもない事件が起きたりするけれど、食べ物に使われている農薬や化学薬品が人間の心にもなにか影響を与えているのではないか。竹を肥料に活用した作物は味がちがう。おいしいものをつくっておいしく食べることが大事ではないか。
 勝手な聞き方をしたかもしれませんが「そうだ!」と思いました。
 先日旧知の客人が訪ねてきました。木を植えた裏山やつくっている畑に案内し、去年つくった作業小屋や食品庫を見てもらい、おしゃべりをたのしみました。あとで「絵に描いたようなシルバー世代のしあわせな田舎暮らしを見せてもらった」とメールをいただきました。
 行雲流水の心境で晴耕雨読の生活をする……田舎暮らし志向の原点でしょうね。でも自分だけが抜け出せばいいのですか。思いがまとまりません。しばらくこの思いと付き合います。
 

 
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バイケミ実験圃場を見学しました。

2010年05月01日 05時35分43秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 裏山のてっぺん。朝9時。木漏れ日をうけて待っています。孫たちが乗ってくれるのを。
 ブランコが完成しました。
 きのうは、妙子さんをデイサービスに送り出してから、バイケミ竹肥料の実験圃場見学会に参加しました。それぞれに家庭菜園をやっておられる数人の方が夏野菜の苗植え作業を見に来ておられ、いっしょに作業しながら、植え方、肥料、潅水などのやり方を教えてもらいました。
 バイケミの竹肥料は畝の表面に撒きますが、それからは耕運しません。バイケミの機械を通すと竹の繊維、細胞膜は破壊されて針状になり、風が吹いても飛ばないそうです。鶏糞と硫安、硫マグの肥料は株間の地表に施肥して、作物が根を横に張るようにします。(有機農業にこだわらず、自然界にないものは補うという考え方です。「おいしいものは体と心のためになる」と味本位に考えておられます。)
 午後『むーな村』近くのなじみの苗屋さんに寄ったら、毎年のことですがこの時季は交通整理員の方がおられ、お客さんもいっぱいでした。安納芋の苗を買いました。どの程度しおれてから水につけて植えようかなー。
 帰ってから畑に出てイチゴ防鳥ネットを張る準備をしました。風がつよく、ピンと張った針金がヒュウーと鳴りました。去年は5月1日にイチゴをはじめて採っていますがことしはまだ。寒いからあと数日先になります。
 とまー、いろいろありましたがきのうのサプライズは、バイケミの見学会で『又八』さん(コメントのネーム)ご夫妻にお会いしたことです。『又八』ってのどかで、とってもいい響きに思えてきました。又八さんは神戸市西区あたりの竹薮で竹を伐採しておられるようで、4月6日のぼくのブログにコメントをいただいています。会ったことのない方にブログを読んでもらっているのがうれしく、ぜひ我が家の裏山を見ていただこうと思います。
 でも又八さん、タケノコすごくないですか。うちはチョンチョン頭を出しはじめました。タケノコが伸び切って地下の根の栄養分を使い果たす8月ごろに新しい竹を切るのがいい、と書いてありました。でも孫たちはこの連休に蹴飛ばすでしょうね。そのほうがまとめて捨てやすい。8月なら一人前の竹になってしまいますしね。
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