コンクリートのブロックを10個買ってきて、裏山に焚き火する場所をつくりました。落ち葉や枯れた竹を燃やします。ゴミは燃やしません。そんな場所にしたくないのです。
休みには孫や親たちがやってくる。焚き火をかこむ。火を見る。あったまる。木立ちを風がぬけてゆく。落ち葉が吹き寄せられる。掻き集めて火にくべる。だれかがなにかポツッとしゃべる。そんな‘ひととき’があればいいですね。
高木護さんの本を外仕事の合間に読んでいます。彫り刻むように書かれた字面(じづら)が食い込んできます。だれかさんのブログから新聞のコピーを転載します。
(2006年)9月13日から、朝日新聞の夕刊に連載されている「ニッポン人・脈・記」で、「現代の漂泊」という新連載が始まった。その2回目(9/14)で高木護(たかきまもる・79歳……2006年現在です。1927年〈昭和2年生れ〉ですからいまはプラス6歳です)という詩人を取り上げていた。
タイトルは「死ぬ時はアッカンベー 捨て鉢詩人 俗を刺す」。この記事がなかなか興味深かったので、かいつまんで紹介してみる。
高木さんは熊本生まれで、44年に少年軍属として東南アジアに渡り、マラリアを患った。帰国後も、後遺症で定職に就けない。捨て鉢になり、野垂れ死にしようと考え、九州一円を放浪し始める。55年(昭和30年)のころからだった。
「行き先もないんですから、そのうち片づくだろうと……」という心境だったらしい。
<冬は鹿児島、夏は北九州を目指し裸足で歩いた。ほとんど野宿。墓の腐りかけた供え物を食べた。
ある冬の夜。山の中で野宿をした時のことだ。枯れ葉を集めて寝ていると、闇の中、ガサガサと音がした。野犬か。イノシシか。死んだふりをして震えていた。
とつぜん、近づいてきた獣が立ち止まり、周りの枯れ葉を後ろ足でかけ始める音がした。「獣がおれを仲間と思い、一生懸命枯れ葉をかけてやろうとしている」。胸が熱くなり、涙があふれてきた。
高木は4年間の放浪の後、北九州の労働下宿を転々とし、日雇いとして働いた。女性誌に「最後の放浪詩人」として取り上げられ、評判になった。>