1964年(昭和39年)、東京でオリンピックが開催されました。ぼくは26歳でした。オリンピックの聖火は全国を走り、多くの国民が沿道で見守りました。西宮の中学に勤めていたぼくは、阪神国道を走る聖火を見ようと思っていました。学校でみんなを引率して応援する気だったか。ところが、台風だったか悪天候で、聖火が西宮を通過するときは車でいってしまいました。
でもあのときは国民はわいていました。テレビで競技を見られるようになり、女子バレーボールの金メダルにマスコミも国民も応援しました。
こんどの東京オリンピックが決まったとき、「エーッ? オリンピック?」と思った国民は少なくなかったでしょう。地震で大きな災害があり、原発事故が尾を引き、「ヤッター! オリンピックだ」という気分ではありませんでした。
テレビや新聞は、オリンピックを盛り上げようと、選手の練習を紹介したりあれこれ苦労しますが、気分はしずんだままです。そこにこの「コロナ禍」。世界から選手が集まって、オリンピックを開催するのを「スバラシイ!」と応援する気分ではありません。
オリンピックにしても万博にしても、政治や行政は「なんかイベントをやって、景気づけしよう」とします。落ち目のテレビや新聞も一生懸命に応援します。
こんなになっても「このたびのオリンピックは無理だ。やめようよ」とテレビのコメンテーターはいいません。でも、どう考えても無理とちがう?
でもあのときは国民はわいていました。テレビで競技を見られるようになり、女子バレーボールの金メダルにマスコミも国民も応援しました。
こんどの東京オリンピックが決まったとき、「エーッ? オリンピック?」と思った国民は少なくなかったでしょう。地震で大きな災害があり、原発事故が尾を引き、「ヤッター! オリンピックだ」という気分ではありませんでした。
テレビや新聞は、オリンピックを盛り上げようと、選手の練習を紹介したりあれこれ苦労しますが、気分はしずんだままです。そこにこの「コロナ禍」。世界から選手が集まって、オリンピックを開催するのを「スバラシイ!」と応援する気分ではありません。
オリンピックにしても万博にしても、政治や行政は「なんかイベントをやって、景気づけしよう」とします。落ち目のテレビや新聞も一生懸命に応援します。
こんなになっても「このたびのオリンピックは無理だ。やめようよ」とテレビのコメンテーターはいいません。でも、どう考えても無理とちがう?