老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

介護とは ⑲{日常生活行為に勝るリハビリなし}

2020-07-01 04:37:11 | 介護の深淵


1584 介護とは ⑲{日常生活行為に勝るリハビリなし}

介護保険サービスがスタートしたことで、
介護施設やデイサービスなどの介護サービスの質はアップした。

自分は、平成元年の年に老人介護の世界に足を踏み入れた。
当時、おむつをしている老人は、誰もがベッドの上で交換をしていた。
歩けない老人をベッドから起こし、車いすに乗せ、トイレまで移動介助し洋式便器に移乗させ、排せつケアを行うことを提案したら
介護員から猛烈な反対(ブーイング)が起きた。

介護保険サービスが始まり
良心的な介護施設やデイサービスやショートステイの事業所では、トイレで排せつケアを行うようになってきた。

老人の基本動作
❶仰向け、寝返り 👉 ❷起き上がり 👉 ❸座位保持 👉 ❹立ち上がり 
👉 ❺立つ(つかまり立ち) 👉 ➏歩行


ベッドからトイレまで、杖や歩行器を使って歩ける人は、歩いてトイレに行く。
ふらつき転びやすい人は、車いすではなく歩行介助により、歩いてトイレに行く。

歩けず、車いすにより洋式便器まで移動する人(車いすを操作できる人は自分でトイレまで行く)。

車いすの人が洋式便器の前に着いた、としましょう。
①車いすから、「立ち上がる」👉②手すりにつかまり「立つ」{(何秒=どの位)つかまり立ちができるか}
👉③軸足を回転させ「屈み」、洋式便器に「座る」 👉④「座位保持」(座位保持が不安定な人は、介護者はからだを支える)
👉 ➄ 排せつし、お尻を拭く 👉⑥ 「立ち上がる」 👉 ⑦手すりにつかまり「立つ」 👉⑧ 軸足を回転させ車いすに「座る」

一連の排せつ行為は①から⑧まで行われる
この①から⑧までの各動作①②③④➄⑥⑦⑧において
老人によって、自分で「できる」、介護者の「手助けによりできる」、「できない」の段階がある

自分「できる」「手助けによりできる」のに
介護者の時間的都合や過剰介護により、介護者が全介助によりやってしまっては
「できた」動作も、「できなくなり」老人も依存的になってしまう。


身体が不自由になり、筋力や体力も低下してくると
老人の動作は鈍く時間がかかってしまう。

そんな老人の遅い動作を「待つ」ことができない介護者は
介護者がやってあげた方が「早い」(効率的な介護)からやってしまう

老人介護も子育ても 本人の行動を見守り(時には手を添えるような介助)しながら「待つ」。
「待つ」ことが肝心

日中、トイレに行く回数を4回とすると
一月で120回
一年で1,440回にもなる。

介護者からすべてやってもらった排せつ行為は、手足の筋力維持どころか、筋力の低下を招く。
一方、手助けを得ながらも「自分でできる」よう一部介助されている老人は、
一月の「立ち上がり」は、1回の排せつにつき2回(①、⑥)あり、月に240回(120回×2回)にもなる。

全介助の老人の立ち上がりは、0回
一部介助の老人の立ち上がりは240回
日々の介護の積み重ねは大きい。
介護は手間がかかるけれども、得る果実がある。

病院の機能訓練室で歩行訓練や手すりにつかまり、立ち上がりの訓練はなされ
脳卒中患者の機能回復には欠かせない。

機能訓練室で為されたリハビリを日常生活行為に結びつけることが大切になってくる
機能訓練室で行った「立ち上がり」を
トイレでの「立ち上がり」につなげていくことである。


手助けによりできた立ち上がりは
一月に240回の立ち上がり動作を続けていくと
手助けなしで立ち上がりが「できる」ようになる
排せつは毎日必ずある
排せつ行為(日常生活行為)に勝るリハビリなし

くどい説明になったような感じがしますが
元気な人は、考えることも悩むこともなく、当たり前のように排せつ行為ができる。
手足や体が思うように動かない老人にとって、排せつのときほど
「人様の世話を受けるくらいなら死んだ方がいい」、と思ってしまう。