老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

マザー・テレサと老人介護❶

2020-07-22 05:19:08 | 介護の深淵
1604 マザー・テレサと老人介護❶


蛍  草


「終わり良ければ総て良し」(シェークスピア)という、言葉が好きである。
老人介護にかかわっていると余計にそう思えてくる。
幸福感は、人によって価値観が違うので、一概に決められるものではない。

人生順風満帆にきたとしても
最後の場面で誰からも看取られることなく
独り寂しく死んでいくとしたら・・・・・。
幸せな最後だったといえるか。

住み慣れた家で家族に見守れながら死んで逝きたい。

カルカッタのスラムの貧しい人のなかのさらにもっと貧しい人たちのためにつかえてきた
マザー・テレサさんの行為に胸打たれる。
彼女を知ったのは、看護助手をしていた33年前のときのことで、
沖 守弘著『マザー・テレサ あふれる愛』講談社文庫 という本で出合ったのが最初である。

「マザー・テレサは、毎日、子どもや病人の世話に献身的に歩きまわっていた。
そんなある日、マザーは、路上に行き倒れている老婆に出会う。
極度の栄養失調にやせ衰え、皮膚は生気を失い乾ききっていて、
死人のようにしかみえないその老婆に、
目をとめたマザーが、十字を切って離れようとしたとき”死体”の腕が一瞬ピクリと動いた。
まだ生きている! マザーはかけよった。
体のあちこちは、ネズミにかまれたか、アリにくわれたか、血が流れだしており、
ほとんど死んではいるが、、しかしまだ生命の火は絶えてはいない。
神に望まれてこの世に生まれてきた生命だ、
生きられるところまで生きさせてあげたい!
マザーは、抱きあげると、スラムを抜け、病院へといそいだ」
(前掲書21~22頁)

マザー・テレサは生命がある人をみはなしてならないと訴えた。
いま自分の為すべきことは路上で死を待つしかない人々を安らかに死を迎えることのできる{家}をつくることだ、
と確信し、即行動に移した。
「ニルマル・ヒリダイ(清い心)」と呼ばれる{死を待つ人の家}がスタートした。