老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

躰で知った老い往く辛さ

2021-02-15 04:46:26 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1743 躰(からだ)で知った老い往く辛さ



今日はバレンタインデー
自分は「ガーナチョコ」が好きである。

さて、「躰で知った老い往く辛さ」とは
老いの影は知らぬ間に忍び寄る。

病に因り心臓の機能は異常をきたしてきたが
まだ心不全の症状にない、と主治医から言われ「ホッと」しているが、
血栓症があり、手足は腫れ、軽く握ったり圧したりすると「痛み」が走る。

左足が水平に上がらず、ズボンなどの下衣を穿くときは
椅子に座り最初は必ず左足から通しす。

車のシートに乗るときも
左足が上がらず右手で左足を持ち上げなければならない。

知らない路を歩き、2,3㎝くらいのわずかな段差に気がつかず
左足を引っ掛けてしまい、前のめりに転んでしまった。
(足を上げているつもりでも、足が上がっていない)

転倒すると右膝に水が溜まっているので破れてはいないか、と
骨折よりも先に気持ちがいってしまう。

人間にとり「歩ける」ことは当たり前の動作で
「足が上がらない」不自由さは気づかない。
いままで「できていた」ことが「できなくなる」
車の乗り降りやズボンの着脱は
思うようにできなくなり、自分の左足でないような気がしてしまい
苛立ちと不甲斐なさと老い往く辛さを知る。

老い往く辛さを知ったことで
始めて要介護老人の辛さの一端を「わかった」ような気がする。

動けない辛さ、不自由さのなかで
残された手足でカバーしながら動き暮らしていく・・・・。
転倒防止を兼ねsnoopy絵柄の白い杖を使い、まだ歩くことができる
beagle元気に連れられながら散歩ができる

1日9,000歩を目指している
達成するときもあれば、目標に届かないときもある

病に負けず
不十分な左足であっても
《心》は自由(自遊)である・・・・・。