老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

今日は父の命日

2023-07-10 21:51:07 | 阿呆者

  散歩路 墓石の形は風雨雪で丸みを帯び 字は消えて苔が生えるほど長い長い月日が過ぎた 合掌

1984 昭和45年7月10日 父 43歳で永眠する

「風邪」も引いたことがなかった健康な父
病魔が襲い 予想以上に腸閉塞が進行し人工肛門を造った
当時人工肛門はその上から「さらし」を巻くだけで、
便が出ると便が「さらし」に滲みだし臭いもきつかった

母は父が亡くなるまでベッドの脇で寝泊まりをしていた
「さらし」や下着の交換
痩せた躰であっても床ずれ一つ作らなかった

介護の世界に入った自分は
床ずれ一つ作らなかった母の看病を「凄い」、なと思った
なのに老いた母に床ずれを作らなかったことに対し
「よく頑張ったね」、と言葉をかけることを忘れていた自分

あと1年は持たないと、言われながらも病床生活は16カ月過ごし
家に帰ることはできなかった父

父は痩せこけ、今思うと「癌」だったのではないか、と思う

老いた父の顔を想像(イメージ)することができない
いま老いた自分の顔は 老いた父の顔に似ているのだろうか

死を目前にした父と話すことがなかった
なぜ、もっと話をしなかったのか、と後悔している

昭和45年7月10日の早朝
「危ない」、と看護師から電話があり
急いで病室に駆けつけた

父の手を握りながら最期を看取ることができた
父は「うお~」と大きな聲を出し
瀕死の状態にありながらも父は力強く自分の手を握り返してくれた

あれから52年の時間が経ち
自分は父の分まで 残された時間 生きようと思う
肝心なのは残された時間 どう生きるか・・・・




蹴らないでくれ

2023-07-10 03:25:36 | 沁みる砂時計

我が家の3坪ほどの家庭菜園 二本の胡瓜苗が成長し 幸せの黄色い花を咲かせ 20本の胡瓜を頂いた
beagle元気 「胡瓜」の言葉に反応するほど胡瓜大好き メトロノームのように先が白い尻尾を左右に
大きく振り胡瓜を待つ beagle元気も私たち夫婦も胡瓜の命を頂き元気になる

1983 小石にも生命がある

食道癌の手術前後 病床で書いた高見順の詩「小石」から引用 
蹴らないでくれ
眠らせてほしい 
もうここで 
眠らせてくれ


86歳の老男は食道癌(ステージ5)を今春 発見され
転院し放射線治療を受ける。
放射線治療を受けても「効果があるかどうかは別問題」、と医師から告げられる
8mmの管を鼻から胃まで通し何とか栄養を維持できたがそれももう限界

食道の腫瘍が大きくなりその細い管を圧迫してきた
管を抜去すると再び管を挿入することはできない
胃ろうを造設する手術を行う
「口から食べたい」、という老男の願いは消えていった

躰は痩せ、胸の奥や背中の痛み、咳、 嗄声 させい (声のかすれ)の症状があり
苦しい
小石まで成長した食道の癌よ
蹴らないでくれ
眠らせてほしい 
もうここで 
眠らせてくれ

癌と必死に闘ってきた高見順
86歳の老男も闘っている


私たちは道端にある小石を
何気なく足蹴りをすることがある
そんな小石にも
生命があることさえ忘れていた

石と言えば 
「景石」という言葉を思い浮かぶ
景石は庭園美を構成する重要な材料であり
景石は 「捨て石」とも言われ 
主役的な庭石を引き立てるためには置かれる
捨て石は 無造作に何気なく置いてあるように見せて
そこに捨石があるだけで庭の風景がさらに引き立つ

捨石は影の存在なのかもしれない