老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

「奇跡だ!」、と言われた85歳の老女

2024-02-01 21:45:11 | 老いの光影 最終章 蜉蝣
2023 眠りから蘇生(よみがえる)



疲れると頭が機能しない
「何も書くことがない。今日のブログはお休みかな」、と
さぼり癖が見え隠れする。

ふと、思い出した。
今日15時30分、在宅訪問をした。
主役の85歳の老母は入院中で会うことができなかった。

同居している夫(85歳)と長女に会った。
近々老母は「家に帰りたい」、と主治医に懇願し2月5日に退院することになった。
2月6日から火木土の透析治療のため、介護タクシーの利用を始める(移動支援にかかわらせて頂くことになった)。

糖尿病が原因で人工透析となり3年が過ぎた。
昨年8月の或る日、歩ていても躰が左に傾いてしまう。
透析治療を受けている病院の医師から「脳腫瘍ではないか」と告げられ入院となった。

脳腫瘍の手術を施行しようとしたとき
血液サラサラの薬を止めて3日しか経過していないことがわかり、急遽手術は中止になった。

脳外科医から「脳腫瘍ではなく脳梗塞だった」、と告げられた。
手術は成功したが、老女の意識は回復せず眠りのなかにあった。

それから老女は、3月ご眠りから目が覚めた。
主治医も意識が戻るとは思っていなかったことだけに
「奇跡だ」、と話された。

脳梗塞を起こした部位は、運よく四肢の麻痺が起こる場所ではなかったことも「奇跡だった」。

その老女は眠りから蘇り、生き始めた。
眠っている3月間の記憶はすっぽり抜けたまま。
85歳の命が蘇生った(よみがえった)老女に会うのが楽しみだ・・・・・。


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