老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1472;死に寄り添う(下)~兄嫁の見送り 勘助~

2020-03-27 15:48:16 | 生老病死
死に寄り添う(下)~兄嫁の見送り 勘助~


『臨死のまなざし』から教えられたこと(5)



1991年2月17日、中勘助の『蜜蜂・余生』に出会い、「蜜蜂」を読み終えた。
今回、立川昭二さんの『臨死のまなざし』を読み、『蜜蜂』を思い出した。
蜜蜂は、働きづめに働いて死ぬ生き物であることを、
稲垣栄洋さんの『生き物の死にざま』で深く知ることができた。

勘助の嫂(あによめ)にあった末子の人生は、
蜜蜂のように命ある限りただひたすら
「家」のために働きづめに働き死んでいった、数え年60歳であった。
昭和17年4月3日 脳溢血で亡くなる。

勘助は『蜜蜂』の23頁~24頁に
「自分には些(いささか)の興味もないこうした面倒を何十年も
つづけながら感謝らしい感謝も、同情らしい同情もうけず、何ら
報いられることなく老い疲れて草の凋(しお)れるように死んで
いったあなたが気の毒でなりません。

詩人的作家である勘助は
 雨も悲し
 風も悲し
 照る日もまた悲しかりけり
 ・・・・・・
 (『蜜蜂』32頁)
9月3日の日記に
 あなたのいないことしの秋
 きものは人に頼みもしよう
 わたしの胸のほころびを
 誰が 誰が 縫ってくれる
(『蜜蜂』137頁)
と書き、嫂の死の悲しみを乗り越えるには時間がかかった。

火葬の様子は、『蜜蜂』87頁~88頁に書かれている。
親しい人、大切な人を骨にしたときの思いは、だれも同じである。
四十年苦楽を共にしてきた嫂に対し、
勘助は「記憶」ではなく「体温」として生き残っているのだ」、と
日記に感動的な言葉を綴っていた。

末子は、夫である金一は脳溢血で倒れて以後、33年間夫の介護を続け、
その長年の労苦は心身ともに病みつかれた彼女は、昭和15年、クモ膜
下出血で倒れた。

そのときの勘助の看病日記『氷を割る』を読むと、嫂末子さんの蜜蜂
のような苦労が伝わってくる。

    氷を割る

 宿命か
 げに宿命か
 三十年の月日を
 半痴半狂の人のみとりに
 心身ともに病み疲れて
 朽木のごとく倒れし人
 その比いなき善良さを思い
 いいようもない不幸の一生をおもい
 わが更生の恩をおもい
 ながしにぽとぽと涙を落としながら
 夜ふけの厨に
 かちかちと氷をわる

勘助は、家人が寝静まった夜ふけの台所で、錐で氷を割り
嫂の水枕と氷嚢を取り替えるのが日毎夜毎の仕事であった。
兄の看病で疲れた嫂の身の上を思いながら、「かちかち」
と氷を割れば、その氷の上に「ぽとぽと」と勘助の涙が落
ちる情景が浮かび、自分も切なくなってくる。

勘助は、「このつぎに出す本は『蜜蜂』という表題にしようと
思っています。あなたのことですよ、蜜蜂が働き死にに死ぬよ
うにあなたは死んだから。かわいそうな蜜蜂!(『蜜蜂』52頁)


戦前は、いまと違い介護サービスもなく、在宅医療も皆無に近かった。
紙おむつはなく、冬であっても手が凍えちぎれそうになる川の水で
布おむつや下着を洗っていた。末子だけでなく90歳を超えた老人
たちも同じような辛い労苦を乗り越えてきた過去の時代があった。




 



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4 コメント

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Unknown (Unknown)
2020-03-27 20:10:43
本当だよね
昔の人は苦労したんだよね
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Unknown (Unknown)
2020-03-27 21:36:35
中 勘助
懐かしい名前、大好きな作家です。
返信する
おしん もそうだった (星光輝)
2020-03-28 15:15:06
おしん も奉公で苦労した。
夜明け前から、夜遅く(20時頃)まで働き
蒲団に入るのは22時過ぎ。
テレビもスマホもない時代。
タイムトンネルで昔の時代に行っても
生きることが難しいね 現代人は
返信する
詩人的作家 (星光輝)
2020-03-28 15:19:22
今回 立川昭二さんのお陰で
中勘助に再び巡り会えたこと
本当に良かったです。
『蜜蜂』は1991年に手にしてから
30年の月日が経っていました。
『銀の匙』は20歳頃に読んだのですが、
読み直してみたい、と思っています。
返信する

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