時 間
子どものころ
ぜんまい時計であった
柱時計にトンボの眼鏡のようなネジを差し込み
右に回すとぜんまいが巻かれていく
柱時計は高いところに設置されていたので
踏み台や椅子に上がりぜんまいを巻いたりした
その頃は時間は無限に感じられ
大人への世界は憧れでもあった
待つ時間は長く
過ぎた時間は早い
気がつけば老いの身となり
時間の少なさを知る
ぜんまい時計ならば
ぜんまいが切れ
そこで時間が止まる
”時間よ 止まれ”
しかし、時間は自分の存在とは関係なく
無情に時間は川の様に流れ往く
老いの時計は
ぜんまい時計ではなく砂時計である、と思ってしまう
最後の一粒の砂が落下したとき
時間はそこで終焉となり
時間の無常と無情さを感じてしまう
いま落ち往く砂を見つめながら思う
誰にも時間は与えられているけれど
その時間は無限ではなく
いつその時間が停止するかもしれず有限であることを
老いた自分に残された砂時計の時間は
どれほどの砂が有るかどうかはわからない
今日が在っても明日は無いかもしれない
残された時間は線香花火のようでもある
暗闇に火玉が落ちる寸前まで光を放して逝く
蝋燭の燈火は揺らぎ心もとない明るさではあるが
老いの足元を照らしてくれる
最初の砂が落ち始めた
一粒の砂を大切にしながら
残された時間を
生きて往く
子どものころ
ぜんまい時計であった
柱時計にトンボの眼鏡のようなネジを差し込み
右に回すとぜんまいが巻かれていく
柱時計は高いところに設置されていたので
踏み台や椅子に上がりぜんまいを巻いたりした
その頃は時間は無限に感じられ
大人への世界は憧れでもあった
待つ時間は長く
過ぎた時間は早い
気がつけば老いの身となり
時間の少なさを知る
ぜんまい時計ならば
ぜんまいが切れ
そこで時間が止まる
”時間よ 止まれ”
しかし、時間は自分の存在とは関係なく
無情に時間は川の様に流れ往く
老いの時計は
ぜんまい時計ではなく砂時計である、と思ってしまう
最後の一粒の砂が落下したとき
時間はそこで終焉となり
時間の無常と無情さを感じてしまう
いま落ち往く砂を見つめながら思う
誰にも時間は与えられているけれど
その時間は無限ではなく
いつその時間が停止するかもしれず有限であることを
老いた自分に残された砂時計の時間は
どれほどの砂が有るかどうかはわからない
今日が在っても明日は無いかもしれない
残された時間は線香花火のようでもある
暗闇に火玉が落ちる寸前まで光を放して逝く
蝋燭の燈火は揺らぎ心もとない明るさではあるが
老いの足元を照らしてくれる
最初の砂が落ち始めた
一粒の砂を大切にしながら
残された時間を
生きて往く
空に昇ったとき
星様にも お会いできます
わたし 母さん事 可哀そうだと思えないのよ
先に逝った沢山の家族に再会して
テーブル囲んで わいわい言ってる
そんな姿ばかりが見えてくるのよ^^
そうですよね
天国良いとこ 、と
昔流行した歌を思い出します
親鸞は誰でも
罪を犯したヒトでも
極楽浄土に行ける、と
トウサン、カアサンや
親しかった人にも
会える