老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

680;時間は生命

2018-03-21 04:57:55 | 空蝉
白河・南湖公園の桜

桜の花は生命は短い
短いだけに儚く
愛しく思われてならない
寒い冬をジッと耐え
春を迎えた桜

時間は生命

最近読んだ本
岩波少年文庫 『モモ』(ミヒャエル・エンデ作/大島かおり訳)から
時間は大切なものであるだけに
奪われてはならない
無駄な時間を過ごしてはならない
時間は生命であることを教えられた

それは自分の時間だけでなく
他人の時間を奪ってはいないか

時間は生きている
時間は取り戻すこともできない
時間は巻き戻すこともできない
時間はいつまでも在るとは限らない
いま時を刻む音に
生きているという瞬間を大切に
私は生きているか

老いてくると
時間の残りが気になる
それだけに時間の持つ重みが増してくる
あと僅かな時間と思うか
まだ時間は在る
残された時間をどう使っていくのか

時間
人間
どちらも「間」という漢字
「間」 どんな意味を有しているのか
蝉を連想してしまった

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  679;取り繕う | トップ | 681;彼岸雑想 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

空蝉」カテゴリの最新記事