老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

531;「老人介護をしてみたい」

2017-11-11 15:35:31 | 33年間介護を続けてきた理由
雑然としているが、さくらさくらデイサービスの食堂兼機能訓練室

 「老人介護をしてみたい」

身体障害者療護施設の介護と入所者の相談は
4年目に入った。

利用者の死を見送るたびに
介護とは何か
生きるとは何か
そのテーマは大きくそして重かった。

身体障害者療護施設向日葵苑の母体は
隣接してある脳外科病院であった。
脳外科病院の病棟廊下を歩くたび
老いた脳卒中患者の姿を目にするようになった。
向日葵苑と同じよう状態の患者が多く
誰かの手を借りなければ生きていくことができない。

光代さんと同じく
脳外科病棟の患者も
寝たきりの人も少なくはなかった。
老人の患者も年々増えてきた。
病院は褥瘡(床ずれ)は「看護の恥」と言われていながらも
現実、褥瘡ができている患者は目につき、
目や口腔内、手も汚れていた。

骨が見えるほどの褥瘡やポケット型の褥瘡は
治るまでには手間(処置)や時間もかかってしまう。
身体障害者療護施設向日葵苑では、褥瘡を治してしまう。
病院は医師や看護師など専門職が集まった医療施設である。
病院では治せない褥瘡
素人集団のあつまりである向日葵苑で褥瘡を治す。

褥瘡予防は体位交換も勿論2時間毎に行うが
一番は車いすに移乗させ、坐る時間を増やしていくことが大切。

褥瘡の話で横道にソレテしまった

脳外科病棟の老いた患者の姿を見て感じたもの(当時35歳)、
昨日まで元気で、田圃や畑の仕事をしていた、
定年になり、これから老後を楽しもうという矢先に、
脳梗塞や脳出血、くも膜下出血に遭遇し、寝たきりや半身不随麻痺の状態になったとき
脳の病気に突然当たった(脳卒中の意味)自分の身の不運を嘆き、
なかには生きる意欲を失い、リハビリもすることもなくベッドに臥床している患者もいた。
脳外科病院でリハビリをしてつかまり歩行ができるようになっても、
退院し家に帰ると「寝たきり」に逆戻り。

デイサービスや訪問介護を使うのは貧乏人の家だけであり
在宅介護は長男嫁が見るのが当然という世間の眼は根強かった。
そのような状況のなかで、
脳卒中後遺症を抱えた老人たちは
病院や在宅で何を思い、何を悩みながら生きているのだろうか。
老いた自分が寝たきりになってしまい
日中は座敷にひとり寝ているだけ。
当然生きる意欲や希望も失せてしまう。

老人介護施設があれば、
要介護老人の居場所をつくり、
リハビリに励みながら生活できる施設
そして在宅介護者の介護負担を減らす
「身体障害者の介護から老人の介護をしてみたい」と
脳外科病院の理事長(向日葵苑の理事長でもある)に相談をした。
平成元年に県内第1号の老人保健施設紫陽花苑(定員80名)を開設となり
私は人事異動によりその老人保健施設の生活相談員となった。

平成元年から今日まで老人介護に関わらせて頂いている
青い鳥症候群も手伝い、さまざまな場所で老人介護を体験してきた

・老人保健施設 
・中古のライトバン1台と2人の介護の専門学校をでた介護員で、半年、
町の公民館を借りデイサービス
・バスを1台貸し切り、在宅老人と在宅介護者と一緒に1泊2日の旅行を企画実施
・2年間在宅老人(83歳、いまならば要介護4相当の老人)の介護ボランテイア(入浴介助、買い物を含んだ外出、調理など)
・機械入浴ゼロ、認知症のつなぎ(抑制着)ゼロ、おむつ外しー全員トイレで排せつ介助、
夜間入浴などを取り組んだ特別養護老人ホーム
・民家を活用したデイサービス
・民家を活用した認知症グループホーム
・新築のデイサービス、新築のグループホーム
・訪問介護
・老人病院
・認知症老人専門のデイサービス
・介護相談(居宅介護支援事業所 ケアマネジャー)
・介護の仕事をしながら福祉・介護の専門学校の非常勤講師

いまはケアマネジャー(受持ち37名)と定員10名の民家を活用したデイサービス運営
物忘れが出始めたら、ケアマネジャー業は引退したい、と思っている。年齢が嵩む毎に受持ちは減らしていきたい)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 530;骨休め | トップ | 532;上手な介護サービスの活... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

33年間介護を続けてきた理由」カテゴリの最新記事