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生きるのも大変
今週から在宅訪問を始めた。
99歳の登喜子婆さんは、快復に向かい
いま介護者の手を軽く握れば、歩けるまでになった。
訪問したとき、ベッドに寝ていた。
「一緒にお茶を飲もう」、と言葉をかけると
彼女は起きだし、
居間でお茶を飲んだ。
登喜子婆さんは、
「起きているよりは、寝ているほうが楽だ」
「生きるの大変」
、と話され、その言葉が耳朶に残り
人間、生きるのも死ぬのも大変であることを
老女の言葉から改めて思ってしまった。
今週から在宅訪問を始めた。
99歳の登喜子婆さんは、快復に向かい
いま介護者の手を軽く握れば、歩けるまでになった。
訪問したとき、ベッドに寝ていた。
「一緒にお茶を飲もう」、と言葉をかけると
彼女は起きだし、
居間でお茶を飲んだ。
登喜子婆さんは、
「起きているよりは、寝ているほうが楽だ」
「生きるの大変」
、と話され、その言葉が耳朶に残り
人間、生きるのも死ぬのも大変であることを
老女の言葉から改めて思ってしまった。
まさに生き仏そのものです。
生き仏に手を合わせ、長寿をあやかりたいものです。
登喜子婆さんは、リウマチを患い
痛み止めの薬など5種類も処方されていた。
残薬がいっぱいあったことから
診察に同席したとき、痛みもないし、という話をしたところ、主治医は、痛いときだけ服用したら、ということになり、薬なしの生活になった。
もう長生きしていることだし、薬も必要なしの感じかな。
「あ~あ、生きるのも大変よ」なんて私たちでも軽味を帯びながら口にすることあります。
ただ、ご高齢になられての思いは、深く心に響きますね。
寺の息子さんですが、「祖母が早う死にたい、早う死にたいと口にして最期を迎えた」と話してくれたことがありました。
毎日この言葉を聞くのも家族には辛かっただろうな、と思いましてね・・・。
ちょっと思い出しました。