自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

おかしなことば遣い

2013-03-05 | 随想

ことばを選び,使うのは人間。ことばの持つ力や影響を鑑みて使い分けるのは,あくまで使い手の品格。感性でありわきまえでもあります。

ラジオを聴いていると,アナウンサーや気象予報士のことばで気になるものが最近増えています。こと二重敬語,過剰敬語について,いったいどうなっているのかと呆れることが度々。とくに若い人のことばが気になります。「ご注意なさってください」「お問い合わせなさってください」「お出かけなさってください」「ご参考になさってください」。自分で口にすると舌がもつれそうなことば遣いです。「ご注意ください」「お問い合わせください」「お出かけください」程度でいいのに。

しかし,こうした例はごくふつうに見られる傾向のようで,たとえば,ネット検索ではいくらでもヒットします。

不特定多数の第三者に向けて一般的なメッセージを届けるのですから,こんな気遣いはまったく無用・不要でしょう。聞き手に必要な情報が単純明快に伝わればそれで十分。メディア人としてことば遣いによって礼を失することがないよう気配りする必要はありますが,こころのこもらないことばを乱発するのはうんざりです。

その前に,このことばは果たして正しい日本語なのかと,つい疑ってしまいます。聞き手に「オヤッ?」と感じさせるようなことばを使うのは,すでにどこか問題を含んでいると思えばいいでしょう。

気遣いと常識にかかわる話題では,わたしの住む市で定時放送されている防災無線や広報紙にも,公的な機関からのメッセージとしていかがかなと思える例があります。

医師に関係ある話で,その例が目立ちます。医師は昔から社会的地位が高いとされてきた典型的な職業です。その名残り,持ち上げ方がなかなかなくなることはありません。下の例のうち,その1,2,3は防災無線を使った定時放送の,その4は市の広報紙の例です。

その1。市立病院の医師を実名で紹介する際,必ず苗字のあとに“先生”を付ける例。医師に対する異常なまでの持ち上げ方が気になります。直接話をする際は,“先生”付けをして一向に構わない(それが世間の常識かと思います)のですが,放送用語としては今の時代にふさわしいかどうか。ふつうは,「市立病院何々科勤務の何々医師」で十分でしょう。もっと単純に「何々科医師何々さん」でダメだということはけっしてありません。これはわたしの主観です。

その2。講演会の開催を知らせるのに「市立病院の何々先生が講演をされます」と紹介する例。この場合,“先生”は自分から望んで講演をしようと思われたのでしょうか。そうではない筈。講演会の主催者側(市関係者)が依頼したという経緯があるでしょう。それなら,「講演会の講師は市立病院の何々医師です」程度で十分。この医師は市に雇用された人,つまり職員なのです。医者が話をすることが何だかとても大きな出来事であるような持ち上げ方は,やはり異常です。これもわたしの主観です。

その3。先日,上の「その1」「その2」のごった煮が登場しました。「市立病院の何々先生が何々と題して講演をします」と来ました。「先生」「します」が一文に押し込められたねじれ表現。この誤用,気になりました。

その4。病院が発信主体になっているページで,医師が執筆した原稿を載せたコーナーがあります。ふしぎなことに,タイトルの次行にある筆者名にいつも“先生”が加えられているのです。たとえ寄稿原稿であれ,名前の後にこうした体裁をとる書籍があれば編集者の常識と感覚が疑われるでしょう。これもわたしの主観。

以上はほんの一例です。一般的にいえば,医師は生命と健康をあずかる職業なのですから,尊敬の念をもってみられ,いろんな場で“先生”付けで呼ばれることは理解できます。しかし,それも,許容範囲というものがあります。こんなに時代が変わってきているのに,いつでも,どこでも相も変わらず“先生”一辺倒では,ね。

                                             (つづく)

(注)写真と本文とは関係ありません。