11月に入り,さすがにジャコウアゲハの幼虫は見当たりません。我が家では,蛹があちこちに付いていてとっくに冬越しの準備に入っています。
過日ヨッさんと話したとき,家の柱やら壁やらにうじゃうじゃするほどに蛹が付いているという話題が出ました。それで,一度見ておこうと思い,先日家を訪ねました。
ヨッさんのことばどおりでした。ほんとうに驚くほどの個体数なのです。庇,壁,農具,段ボール箱,トタンの波板,……,そこらじゅうに蛹がちりばめられているといった感じです。それにしても驚きました。一見の価値は十分にあります。
「これが来春羽化して飛び回ると思うと,どうなるんやという感じや。草は少ないし。どれだけのものが生き残るか考えると,複雑な気持ちになるなあ」
これは食草の量を心配した,ヨッさんのことばです。わたしは,「草の分だけ生き残るのが自然の掟ですね。100個卵を産んだとして,1,2個が成虫になれる程度のものでしょう。それでも,家に草を植えている分だけは,確実に増えるでしょう。人間の感傷に関係なく,自然は営みを続けていっています。自然のまま,あるがままでいいんじゃないですか」と話しました。
見ていくうちに,幼虫を一匹発見。まだいました。今季,わたしが観察する最終の幼虫になるでしょう。なんとか無事に蛹になってほしいものです。
ヨッさんのスゴイところはやりかけたら徹底される点です。今年,ウマノスズクサの花が見たくて,ネットを覆った囲いを作っていらっしゃいます。覆いをしなかったら,アゲハが葉に産卵して,孵化した幼虫がウマノスズクサを食べ尽くします。それを防ぐための措置なのです。苦労の甲斐なく,花は咲かなかったのだそうです。
「ウマノスズクサは食べられっ放しやなあ。一方的なそんな関係は,食草にはなにもええことないわなあ。それもふしぎや」
確かにそうです。しかし考えてみれば,長い生命史を通してジャコウアゲハはいろんな草を食べていたはずです。そのなかで,ウマノスズクサを食べ,毒成分であるアリストロキア酸を蓄積してきたジャコウアゲハがたまたま生き残ってきたわけです。今ある関係は,食草ウマノスズクサが体内にアリストロキア酸を持った必然的な結果です。動いて逃げるにも逃げようがないので,ウマノスズクサはこれが運命と諦めるほかありません。
「なるほどなあ。科学的にどうのこうのという見方はわたしにはできん。情緒的に,文学的に見るぐらいがせいぜいやな。はははは……」
そんなふうに,ジャコウアゲハ談義が続きます。ヨッさんの一言一言には,いつもなかなか味わい深いものがあります。