小学生の頃、読書感想文の課題図書が「ふたりのイーダ」でした。
中学生の頃、「原爆の子の像」の千羽鶴が放火されたという新聞記事を読んで、同級生と千羽鶴を折りました。
完成した千羽鶴を現地に届けるために新聞社に聞いてみたら、細かい経緯は忘れてしまいましたが「学校代表」のような形で、担任付き添いのもとに全国紙の記事に掲載されました。
(かなり後、大人になってから
あれはいわゆる「学校広報活動の1つだった?」と思い
「だったら、ご褒美(?)に、英語の点数を1点くらい上げてくれてもヨカッタのに...
などと、かなり図々しいことを考えてたワタシ)
高校生の頃、修学旅行の最初の目的地が「広島」でした。
〇教祖の先生の力が強大な学年で、広島に修学旅行に行ったのは初めてだったとか。
原爆資料館で見たものは、高校生には強烈な印象で心に刻み込まれました。
会社員の頃、広島支社への日帰り出張で、帰り間際、晩ご飯の時間を削って訪れた平和公園。
フライト時間ギリギリで、ただ一礼するしかできませんでした。
(それ以来、広島を訪れてはいません)
「旅人」として訪れる人とは違い、そこで暮らしている人達には、あの日から毎年やってくる8月6日。
戦争に勝つために使われた爆弾と、
人々の生活を豊かにするために使われていた原発の事故と、
起因者の意図は大きく違ったとしても、被害を受けた人に違いはありません。
そんなことを考えた「原爆の日」でした。