元ラーメン屋店主のツイート集

ラーメン屋を10年経営し、今は閉店し、介護士をしています。

様式美麺 第15弾 こくうまらーめん

2006年01月12日 | れいんぼ~情報
今回の様式美麺(期間限定メニュー)は、
こくうまらーめん  です。

通常のラーメンに、こくうまペーストを
加えたメニューです。こくうまペーストの中身は
秘密にしたいけれど、ラーメンに新たな旨味を加え
深い味わいにしてくれるペーストです。
食べ方は、最初は普通のラーメンで食べ、少しづつ
スープに溶かしていってください。味が段々と変化
していくラーメンになります。このペーストにより、
劇的な変化をしますので、前半は普通のラーメンとし
楽しんで頂き、後半変化をさせた方がより違いを
判断しやすいです。

1月12日、13日に
ブログ閲覧者のみの先行販売をいたします。

様式美麺 14弾の
「鶏油麺 弐」は13日を持ち終了いたします。

様式美麺15弾
こくうまらーめん
の正式販売は、
1月14日(土)~です。
価格:並 500円
   大盛600円
是非、お召し上がりください。

青木さやかが苦手

2006年01月12日 | 音楽・楽器
僕はTVに青木さやかが出ているとチャンネルを
変えてしまいます。青木さやかのキャラが嫌いという
よりも過去の悪夢が蘇るからです。

僕は20歳の時に社会人デビューをしましたが、その
会社の直属の先輩が青木さやか風でした。30歳くらいの
女先輩でしたが、気が強く、負けず嫌いで、プライドが
高かったです。社内の後輩らは怒鳴りつけ、上司や
月に数回顔を出す社長にも楯突いていました。
彼女は男には負けられんという闘志と、自分がNo1に
なるという気持ちが強く、後輩の僕は散々振り回され
ました。彼女は会社1の営業成績を出していて、古株営業マン
の2倍近くの売上をはじき出していました。彼女は運転免許
を持っていなかったので僕は金魚の糞みたいについて回り
ました。僕は在職していた1年間は彼女のサポート役みたいな
存在だった。彼女は仕事を取るまでが仕事で、その後の
工場に発注や、出来具合の確認や、納品は僕がやっていた。
また彼女は仕事を中断しない。
毎日毎日、夜の11時を過ぎても仕事を取ってくる。他の
営業部の人は夜の7:00に規則正しく帰っているのに、
女先輩の付き人みたいな僕は、社内でデータ入力やら、
書類の受け取り、校正などを日付けが変わるまでさせられる。
僕の給料は夕方5;00までで、それ以降はサービス残業
だった。朝の4:00まで働かされた時なんて、「何やってるんだ
俺は・・」と思った。また、電車やバス通勤者のオペレータを
送迎するのも僕の仕事だった。終電後まで残業なんて、殆ど
毎日だから中央区の会社から春日や西区や新宮まで送迎し、
やっと僕は帰れた。朝7:30~朝1:00が通常勤務で
締め切りや、納期が押し迫ると朝6:30~朝4:00
なんてなっていて、着替えにだけ帰っていた。
そんなに働いても現場の状況を知らない社長らは
「お前は給料泥棒か!結果を出せよ!遊んでんじゃねぇよ」
とか言われていた。1日8時間勤務5300円の給料体制で
手当や残業費も無く、睡眠を削った不眠不休の勤務なのに
怠け者扱いをされて悔しかった。
その女先輩はとにかく働いていた。僕は通常は夜の1:00、
2:00に仕事から解放されていたが、女先輩は取引先の
接待に行き朝方まで毎日飲んでいた。毎日2時間弱の睡眠
で会社に来ていたみたいで、前日と同じ服で剥がれた化粧
できていた。会社内で顔や歯を磨いてメークを整えていて、
疲れきっている様子だが罵声は毎日飛んでいた。
女先輩は本当によく働き、休日も休まない。半年で1日しか
休まないみたいだ。僕はその女先輩の助手だから休日が無かった。
朝から晩まで(さすがに休日勤務は夜8:00には解放して
もらえた)働いても休日勤務は給料が出ない。要するに
0円の為に貴重な休日を犠牲にさせられた。

女先輩はさすがに無理がたたって、過労で入院し、その後
自宅マンションでしばらく休養していた。その間も、病院
や彼女のマンションに一日数回呼び出され、彼女の仕事を
引継ぎ、代理人とし僕が取引先に顔を出していた。

会社では昼休みも、夕食時間も無く、合間を見て食事を
取らなければいけなかった。定食屋やラーメン屋で注文
をしても、女先輩の携帯が鳴り呼び出しがかかれば、
「さー行くよ。食べてる暇はない」と、一口も食べていない
料金を払い店を出る羽目に何度もなった。
だからコンビニの弁当を主食にして、空き時間の度に
少しづつ食べていた。

ある日、満月の夜空を見ながらコンビニのシーチキン・おにぎり
を頬張っていると、毎日眠くて眠くて疲れきっていて、意欲も
無く、安月給で、女先輩からは「あんた人の話きーとーと?
ええかげんにしときーよ。」や「死なんかい。あんた生きとる
価値んなか」とか怒鳴らてている毎日の無意味さを冷静に回想
し、会社を辞めた。今思うと、もっと早めに辞めるべき会社だった。
30人規模の会社なのに、僕の入社後に20人ぐらい辞めたり
入ってきたりしていたから、出入りの激しいその程度の会社だった
んだろう。あの、満月の夜に、こんな無意味な事やる人生は嫌
で福岡に来たのはこんな所で働く為じゃない。と強く感じた
からこそ、翌日辞表を出せた。でも辞表出して3ヶ月は辞めれな
かったのだけど。

数年間忘れていたが、青木さやかにより、あの女先輩を思い出し
長文を書いてしまいました。

クラシック・ギタリスト村治佳織

2006年01月12日 | 勝手にランキング
僕が生ギター(アコースティック、クラシク、ガットなど)
のギタリストで頻繁に聴いているのは押尾コータローと、
村治佳織です。村治佳織はカワイイし、ヤングギターで
エッセイも書いていたのでヘヴィ・メタル系のファンも多い
です。以前リサイタル会場にトゲトゲで鎖をジャラジャラ付けた
髪を染め立てているファンから、ブラック・サバスやパンテラや
スレイヤーやメタリカのCDをプレゼントされたらしいです。
クラシック畑で育った村治はどう感じたのだろう。でも、
村治佳織の師匠、福田進一は「ジミ・ヘン唱歌」という、
ジミ・ヘンドリクスに捧げる曲も作っているから、少なからず
ロックのエッセンスも吸収しているのかもしれません。

村治佳織はオリジナル曲が無く(最近は知りませんが)古典
バロック調の曲を演奏している事が多いです。素晴らしい演奏家
なので個性を発揮した作曲もしてほしいです。落語家も古典の
名作を伝承しつづける人も重要ですが、創作現代落語で自分
を全面に表現している人もどんどん出てきて欲しいけれど、
ベテランの域までは古典をやり続けないといけないのかも
しれない。村治佳織も完成された譜面上で村治の色を出し、
数百曲を自分の物にしてからオリジナル路線に行くのかもしれない。

■1位  シンフォニア

■2位  グリーン・スブリーヴス

■3位  パストカル

■4位  カヴァティーナ

■5位  アランフェス協奏曲

ジェフ・ベック

2006年01月12日 | 勝手にランキング
世界3大ギタリストと言うと、エリック・クラプトン、
ジェフ・ベック、ジミー・ペイジです。世界三大美女
クレオパトラ、楊貴妃、小野小町と同じく後世に語り継がれる
名ギタリストだと思います。
 リッチー・ブラックモア、フランク・ザッパ、ジミ・ヘンドリクス
が3大ギタリストに選ばれず、いずれも元ヤードバーズのギタリスト
3人が選ばれたのは、当時のヤードバーズがどれほど偉大で
影響力があったかを物語っています。
 3大ギタリストはそれぞれに強烈で個性的な演奏をしていますが、
一番のテクニシャンはジェフ・ベックだと思います。ジェフ・ベック
は模索の連続で、ギタープレイについてとことん追求をしていました。
ソロのアルバムを出すたびに驚きの展開で緊張感溢れるプレイを聴かせ
てくれました。ジェフ・ベックに円熟期は無く、常にスリリングな
演奏をしてくれて、自らの限界や完成形の枠を作らず挑戦しつづけて
います。
■1位  ワイアード

■2位  フー・エルス

■3位  フラッシュ

■4位  ブロウ・バイ・ブロウ

■5位  ギター・ショップ