元ラーメン屋店主のツイート集

ラーメン屋を10年経営し、今は閉店し、介護士をしています。

恐怖の「なんで?」と「いろいろ」

2007年10月09日 | 店主の人生哲学
人は常日頃、多くの人々と接して暮らしています。

仕事や学校が休みの日でも、誰とも一言も話さず
に1日過ごすなんて人は少数派だと思います。

口ベタな僕でも、お喋りは大好きです。でも、会話
とは常に自分がリード出来る物ではなく、聞き役に
周り、相槌を打つ事も重要です。興味が無くても
興味を持っている素振りをするのも人間生活を営む
上で必要です。

でも、僕の友人に興味が無い会話は絶対にしないと
徹底している人がいます。その友人N君は、言葉の
キャッチボールという概念が無い、独特の独自性
を持っています。一般的に、会話とは、相手が
取りやすいように球を投げ、自分にも取りやすい
球を投げ返してもらって成立します。

でも、N君は違います。

N君は、豪速球を投げてきたかと思うと、変化球を
投げてきたり、僕のとこまで届かない球や、
僕の居場所と逆方向に投げたりします。僕が必死に
球を拾って投げ返すと、N君はその球をよけ、新しい
球を投げてきます。

比喩が分かり難いので、具体的な会話例を書きます

N君「今度生まれてきたら男がいい?女がいい?」
僕「唐突やなー。んー、まー男かな」
N君「なんで男がいい?」
僕「深い意味は無いけど、男で不満がないからね。」
N君「昨日ダウンタウンの番組見た?」
僕「男女の話は・・。まぁいいや。ダウンタウンの
  番組見てないけど・・。」
N君「生きている意味って何だと思う?」
僕「突然、哲学かい?その答えを見つける為に生きるのかな」
N君「好きなタレントだれかいる?」
僕「広末がずっと好きだね」

てな感じで、一問一答的な会話が続く事もしばしばです。
N君は会話を広げよう、膨らまそうという考えは一切無く、
多少盛り上がった会話でも、突然、全く関係ないテーマ
を持ち込んできて、あっさり前の会話を流します。

N君は、話が徐々に膨らんできて、もう少しでオチという
所まで待てない人です。

N君は即効的に興味が持てない会話は切り捨て、僕主導で
話だしても、あからさまな無視で、目線も合わせず、
相槌すら打ってくれない事も日常的です。

と、N君をとんでもない自己中的な人のように書きました
が、僕はN君のスタイルを批判的には見ていません。慣れ
るまでは、他に類を見ない難しい会話スタイルだけに
戸惑いますが、彼が言う哲学的思想は僕と180度違い
共感出来ない事が多すぎるゆえ楽しいです。僕もN君との
会話では、相手に合わせるような事はしないので、お互
いが本心で思っている事を晒しやすいです。考えが違い
すぎて、熱い討論形式に成る事も多いけど、比較的ナ
チュラルな会話になります。全く違う意見を聞くという
のも面白いものです。自分では考えもしない価値観を
持っている人との会話は僕自身の思考の幅も広がるし
、ユニークな考えに新鮮さを感じます。

ただ、N君は素直すぎるのか、正直なのか、毒を吐く癖
があるのか、相手を気遣う気が無いのか、歯に絹着せぬ
発言が多いです。何でもズケズケ言う為、僕の心を土足
で踏み散らかす事もたまに有ります。でも、最近は慣れ
精神面でもタフになれた気がします。

N君の事で長々書いてしまいました。本題はここからです
が、相変わらず無駄話が過ぎてしまいすいません。

N君は僕のブログを時々読むので、この記事を読まない
事を願います。

さて、気を取り直し、ぎこちない会話の事を書きます。

例えば、会社の同僚、知人などで、あまり心開いていな
い人は勿論、親友など仲がいい人にも言える事ですが
沈黙には多少なりとも恐怖を感じます。

全く知らない人なら、電車のボックス席や、エレベーター
で一緒に成っても会話をしなくても成立しますが、顔みし
りだと喋らない方が不自然です。

でも、日頃から親しげに喋っていない相手だと、会話なん
てすぐに途切れます。親しい相手であっても、僕の会話の
ネタが永遠に尽きない友人は5人ぐらいしかいません。
他は1時間ぐらいずっと喋っていると、出尽くして
沈黙になりがちです。

僕が最も苦手なのは、車での沈黙です。車に2人っきりの
場合は2分の沈黙が限度です。以前、会社の上司と外回り
とかで2人っきりで移動の際は、絶えず会話を続けていま
した。特に親しくない相手の場合は、相手がリードしてく
れたら楽ですが、相手が相槌だけだと非常に困ります。

僕が過剰に気にするだけで、相手は沈黙、無言なんて気に
していないのかもしれませんが、相手も沈黙を嫌っている
と勝手に思っています。

日頃、色々と喋っていて、どういう趣味があって、性格は
どうで・・・など分かっている相手だと、沈黙の打破は
そう難しくないです。

でも、相手が、自分の事を喋りたがらない人だと、会話に
なりません。僕はこのケースでよく失敗します。

僕「映画とか見られますか?」(趣味の一致点があるかの探り)
相手「うん。見るよ」
僕「僕も映画好きなんですよ。ジャンルはどういったのが好きですか?」
相手「あんたに関係ないやん」
僕「そうですけど、何かお奨めの映画とかあったら教えて
  欲しいんですけど」
相手「何で教えないかんと?」

こんな、受け答えされたら、もう喋る気も失せてしまい、
ますます気まずい沈黙になった事も1度や2度ではありません。

慣れない相手との会話の定番パターンは質問ですが、本当に
興味があって聞く事よりも、相手が会話を返しやすいように
質問形式にしているだけであって、質問に意味なんて無い事の
方が多いです。それなのに、質問の意味を探る人が多いです。

僕「最近は何処の現場で働いているんですか?」
相手「なんで?」

僕「今年は海水浴とか行きましたか?」
相手「なんで?」

「なんで?」と返されると、僕は返答に困ります。僕の質問に
答えてくれたら、少しばかりは会話も膨らむのに「なんで?」
と意表をつく返答だと、その後の言葉を失ってしまいます。

曖昧な便利語でもある「いろいろ」は困ります。いくつか例を
あげた後のいろいろなら分かります。

例えば「好きなバンドはレインボー、ディープ・パープル、
ホワイトスネーク他いろいろ・・・」

だと、会話を掴めます。でも「いろいろ」だけの返答だと
会話を広げる事が難しいです。

相手「俺もハードロックとか聴くよ」
僕「そうなんだ。どんなの聴くと?」
相手「いろいろ」
僕「例えばどのバンドのファン?」
相手「いろいろ」
僕「いろいろやろうけど、特に好きなのは?」
相手「ん・・・・いろいろやね」

1つ2つの具体例で一気に広がるのに、曖昧な返答だけ
だと全く分かりません。

だから、僕は「なんで?」と「いろいろ」が会話に
出てこないことを常日頃願っています。

オウム返しも困りますが、今日はここらで終わります。

RAINBOW ROAD~様式美麺れいんぼ~への道20

2007年10月09日 | RAINBOW ROAD
僕が店の開業計画を父に打ち明け、最初は許可しなかっ
た父が協力体制になってくれたエピソードからお話しします。

僕は何が何でも自分のラーメン屋をやりたい意思を貫き、父
に理解してもらい、資金面の援助を求めました。

僕がラーメン屋をすると言い出した時は、周囲の皆が驚き、
「無理やろうもん」「やめとったがよかよ」「無茶するよなー」
とかネガティブな意見が多かったです。

無理もありません。僕は接客が苦手で一般ショップの販売員の
ような仕事は極力避けてバイトや就職をしてきました。人見知
りするし、社交性や協調性に乏しく、口ベタで、あがり症で
シャイです。親しい友人間で馬鹿騒ぎするのは大好きですが、
基本的には暗い、内気な人間です。そして、すぐに落ち込むし、
逆境に耐え続けるほどの強い精神力も備えていません。

要するに、商売人、サービス業、経営者に僕は不適正な人格
だと思います。でも、自分がラーメンが好きで、好きでたま
らなく、ラーメンを自分の一生の仕事にしたいと思った気持ち
は抑えようがありませんでした。他人が作ったサービス、商品
では無く、不器用なりに自分が1から作り上げた物でやりたい
と思った以上は、何とか自分の店を開店する必要がありました。

周囲がとやかく言おうと、僕はラーメン屋開業の夢はブレる事
無く、自分がラーメン屋の厨房にたって調理しているのをイメー
ジするだけでワクワクしていました。でも、とやかく言わせては
いけない人物が1人います。父は僕が商売人向きじゃ無い人間で
ある事は充分すぎるほど見透かしています。いや、友人以上に
僕を過小評価しているかもしれません。

僕と父の関係にも問題があったのかもしれませんが、父は毎日
飲んだくれて、高圧的に大声で怒鳴り散らすので、僕はずっと
父に歯向かう事はせずに唇をかみ締め耐え抜いてきました。
だから、父には自然な自分を出せず、常に遠慮がちに、
父親を怒らせないようにする事だけを考え、言葉を選んで
会話をしていました。
だから、流血ものの壮絶な殴り合いの喧嘩を対等にやりあっ
ていた父と姉の関係とは全く違い、父から見ると僕は大人し
く自己主張しないつまんない人間と映ったはずです。

だから、父は僕が商売人に成れる器量も、技量も、甲斐性も
無いと人一倍思っていたはずです。

だから、僕がラーメン屋開業計画での父との論争・対立は
相当なものがあり、父に初めて見せる情熱的な僕の姿には
父も驚いたと思います。

でも「もし父を説得出来なかったら?」という選択は、僕にはあり
ませんでした。父すらも同意してくれないようなら僕にはラー
メン屋をする資格がない。っと、簡単に諦めれたら楽でしょう
が、僕には父へのプレゼンで失敗した場合の第2案なんて
ありませんでした。父が協力してくれなかったら、僕のその後
の人生は白紙でしかありませんでした。

何が何でもラーメン屋を開業する必要性があり、ラーメン屋を
開業しない限りは、僕の人生は開けないとすら思っていました。
だから、一生一大の大勝負であり、父を協力体制にする事が
必要不可欠でした。

僕が初就職をした頃から、親へは恩返しはすべきで、何があっ
ても親にお金で迷惑をかけまい。と、心に誓いましたが、自分
の夢の実現の為に開業資金が必要になり、迷惑をかける羽目に
なりました。僕が今営業しているあの最悪な立地に店を構える
事を思った時点で「普通に考えて商売が成り立たない立地だなー。
最初の1年は苦労するのが目に見えているから、返済が滞る事も
充分にありうる。低家賃、低返済でやり、多少のゆうずもきく」
となると父しかいませんでした。

ターニングポイントは父が、
「お前の計画書や言葉でゴチャゴチャ言うのはもういい。
ラーメン屋したいなら、とにかくラーメンを作ってみろ!!
俺が審査してやって合格なら、お前の話も聞いてやる。
不合格なら諦めろ」と、言って来た。

旨くても、まずくても「不合格」と言うような父ではあり
ません。無愛想で、気難しい父だけど、嘘はつかない人です。

僕が考えたラーメンレシピは数十種類あり、僕がやりたかっ
たのは醤油ラーメンだったけど、僕が店でやるラーメンでは
父が「ウン」と言わない事は分かっていました。僕が唐津で
一番美味しいと思っている支那そばの店を、1度だけ食べた
父は「マズイ」と言っていました。要は、父には醤油ラーメ
ンを「ウマイ」と思う味覚を持っていないと確信しました。

一番の問題が、父がラーメン屋でラーメンを食べた経験が
極端に少ないという事です。僕が物心ついてから、今まで
で父とラーメンを食べに行った経験なんて1,2度あるか
どうかぐらいです。父が1人でラーメンを食べに行った
事なんてのも皆無に等しいです。すなわち、父は基本的に
ラーメンを食べない人なのです。

だから、父が納得するラーメンなんてのは難問です。この
時ばかりは、僕が作りたいラーメンでは無く、父が満足す
るラーメンを作ろうと考えました。

そして、父に今まで食べて印象に残っているラーメン屋に
ついて聞くと「19歳の頃、仕事で久留米に行った時、
深夜に極限の空腹の時食べたラーメンが旨かった」との事。

僕の頭のラーメンデータをフル回転させ、父が19歳の頃
すなわち47年前に深夜も営業していた店というと多くは
無いはず・・。今もある店だとすれば、相当な老舗という
事になる・・。

もっと詳しく、久留米のどこにあったか聞いてみた。

「福岡からバイパスで久留米に下った道沿いだったと思う
けど、昔の事だから分からん?」との事・・。

恐らく国道3号線か・・。と、成ると・・丸幸ラーメンセ
ンターか、丸星ラーメンなら24時間営業だな?でも、昔
から24時間だったのか、創業何年なのかは分からない・・。
よし、丸星ラーメンと信じて、僕流のオマージュラーメン
を作ろうと思いました。

丸星ラーメンなら、豚1頭丸ごとと、鶏がらのスープだから
類似の物は作れる自信がありました。

肉屋でゲンコツと、鶏胴ガラ、豚バラ肉、ミンチ肉を仕入れ
て、スーパーで野菜類を買い、業務用スーパーで細めんを
購入しました。

予想以上に話が長くなってしまいましたので、実家での初
自作ラーメンと、父の審査については、また次回・・。

つづく