hiroの花便り

我が家に咲く花や日々の暮らしを綴っていきたいと思います

初雪

2016-01-18 | 日記
昨夜からポツリポツリと降り始めた雨は
未明には雪に変わっていたようです。



(2016/01/18 05:25撮影)

目覚めたのは5時20分頃、いつもなら二度寝をしているところですが、
気になって玄関の扉をあけると外は真っ白で
雪はまだコンコンと降っています。
5~6年前でしたら喜んで外に出て、新雪を踏締めていたところですが
今はそんな元気はありません。
体を震わせながら寝室に戻り、暖房をつけました。



(2016/01/18 07:05撮影)

7時頃、雨戸をあけると雪は雨に変わっていました。
(夫の話ですと、クッキーの散歩を始めた6:10頃から雨に変わったそうです)
道路も車輪の跡がたくさん付いています。
通勤や通学の皆さま、くれぐれも足元にはお気を付け下さい。



(2016/01/18 07:08撮影)
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母の3回忌

2015-11-30 | 日記
28日(土)は母の3回忌。
早いもので、母が亡くなって丸2年がたちました。
読経の間、晩年の頃の母を思い出し、もう少しできる
ことがあったのではと、詫びる気持ちで手を合わせました。

和尚さんのお話しによると、三回忌には阿弥陀如来が現れ、
死後の魂を遥か西の彼方にある極楽浄土に導いてくれるそうです。
どんな苦しみもない、やすらぎの世界へ・・・
信心深いわけではありませんが、そこにいる母を思うと、
救われた気分になります。

法要後は市内の割烹店で会食をしました。
参加したのは父母の兄妹の中でただ一人元気な85歳の叔父と
私達姉弟3人とその連れ合いでした。
叔父は今でも年に2回のお彼岸とお盆には必ず実家を訪ねてくれます。
私とは16歳違いですが、私が生まれてから何年か一緒に暮らしていたので、
古い家や庭の様子も私の記憶と重なる部分が多く話も合います。
昔は家の正面に門があり、家の前には2本の梨が植えられていたとか、
あの辺にはお風呂場、柿の木の近くには井戸等々・・・

母の遺影の前に御膳を供え、思い出話をしながら、楽しいひと時を
過ごしました。母もきっと喜んでくれたことでしょう。


実家の庭より



クリスマスホーリーの実
母が亡くなった時、真っ赤な実をたわわに実らせていましたが、
今年も綺麗な実をつけて、私達を迎えてくれました。
私にはクリスマスホーリーの実は母の化身のように思えます。



クチナシの実
母が好きだったクチナシ。
今年もたくさんの花が咲いたのでしょうね。



南天の実
日当たりの良い木の先端になった実は、少ししか残って
いませんでしたが、根元の近くの実は色鮮やかでとても綺麗でした。
家に帰り、我が家の南天を見てみると、実はほとんど無くなっていました。
毎日遊びに来ているヒヨドリが食べてしまったのだと思いますが、
ヒヨドリのおかげで、あちこちに子孫を増やしてもらえる
南天はさぞ喜んでいることでしょう。
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クッキー外耳炎の決算

2015-05-16 | 日記
クッキーの外耳炎が悪化し、
動物病院に駆け込んでから約1ヶ月が経過しました。
オゾンガスを注腸しても、抗生物質の薬を飲んでも、
最初の2週間はちっとも、良くなりませんでしたが、
3週間目にトリミングをしていただき、
オゾン耳洗浄をし、薬も抗生物質に加え消炎剤、
外用薬を加えたところ、それ以後は膿がでたり悪臭がする
ことは全くなくなりました。
最初のお話では外耳炎は繰り返し易く、特にこれからの
シーズンは細菌が繁殖しやすいので、
治療は9月いっぱいまで続くとのお話でしたが、
4回の治療費・トリミング料金等を合計すると43,568円にもなり、
年金生活者には負担が重く、通院を一時止めることにしました。
薬を飲まなくなって約1週間たちましたが、
とても元気で、嫌な臭いもありません。
少しでも悪い症状が出たら、すぐに治療を受けるつもり
でいますが、このまま良くなって欲しいです。




     

ご訪問ありがとうございます。
本日は都合により、コメント欄を閉じさせていただきます。
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クッキー外耳炎に

2015-04-16 | 日記
最近クッキーから今までにない悪臭がするので、
耳の中を見ると、ベトベトとした汚れがあり、
ティッシュで拭くと黄色い膿のようなものがついていました。
夫とかかりつけの獣医さんのところに連れて行くと、
中から奥様が出てこられ、先生は半年前に亡くなられたとのこと。
仕方なく行きずりの動物病院に連れて行き、診察を受けると
案の定、外耳炎でした。
細菌が耳垢を栄養にして繁殖し、このままにいしておくと
中耳炎に進行するとのことでした。
私としてはまず耳の中を綺麗にして欲しかったのですが、
治療は皮膚検査とオゾンガス注腸、内服薬(抗生物質)8日分
で合計9364円でした。
トリミングもシャンプーも当分厳禁だそうです。
治療は1週間に1度、これからは細菌が繁殖するシーズンなので
9月一杯まで続くとのこと。
それでも年齢的に免疫力が落ちているので、完全に治るかどうかは
分からないとの事でした。
年金生活者には大きな負担となりそうです。







ご訪問ありがとうございます。
本日は都合により、コメント欄を閉じさせていただきます。
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血液型

2015-03-09 | 日記
自分の血液型を初めて知ったのは、
高一の生物の授業でした。
私はB型で、女子はクラスに3名いました。
何のために血液型を調べたのか、わかりませんが、
この先生、吉川英治が癌で亡くなった時は、
髪の多い人は癌になりやすく、脳卒中にはなりにくいとか、
甲状腺ホルモンについて勉強していた時は
話がバセドー氏病に及び、この病気は若い女性に多く、
出目になる等と話されていました。
少し目が腫れぼったく、コンプレックスを持っていた私は、
ドキドキしながら聞いていました。



アネモネ・パンドラ

話を血液型に戻しますが
1973年(結婚した翌年)能見 正比古の「血液型人間学」
がベストセラーになりました。
作者が同じB型であることから興味を持ち、
すぐに買って読みました。



プリムラ・マラコイデス

B型の私に関しては半分くらいは当たっている
ような気がしましたが、
他のB型の人が、そうであるとは限らないと思いました。
それより、
B型はマイペースでお天気屋などと
固定観念で人を見るのは、いかがなものかと思いました。
血液型で人事をするという会社があるという噂まで流れていました。



ネモフィラ

昔の私は大勢で群れるのは好きではなく
仲の良いお友達が一人いれば満足する方でした。
不思議なことに20歳頃までは、
親友と呼べるお友達の血液型はすべてB型で、
話しやすい男子もB型ばかりでした。



椿・玉之浦

夫の血液型はA型で、相性としては
一番悪いはずですが、
けっこう仲良くやっています。
夫とお付き合いを始めてからは
女友達も圧倒的にA型が多くなりました。
そして自分自身も初対面の人からは
たいてい「A型でしょう」と言われるようになりました。
血液型と性格はほとんど関係ないようですね。



香り椿・春風

「血液型人間学」は何十年も前に断捨離をして細かいことは
覚えていませんが、ネットで調べると
本の裏表紙に書いてある血液型の特徴が載っていました。

O型は、理想に燃え愛と信念に生き、目的に向かって直進する。
しかし、それが押しつけになると敬遠される。
A型は、周囲に心をくばり誠実な努力で人に尊重される。
だが、型にはまる苦しさで自信を失うこともある。
B型は、アイデアと行動力に富みマイ・ペースで価値ある仕事を実現する。
しかし、協調を失えば独走気味となる。
AB型は、合理性と奉仕の精神で人間関係をつないでゆく。
だが、社会と人間への不信感から気力を失うこともある。


血液型による仕訳、皆さんはどのように感じられましたか?
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祖母と着物

2015-01-23 | 日記
今年86歳になる叔父が、私が生まれるずっと前に亡くなった
祖母の写真を送ってくれました。



叔父は父の末弟(末っ子)で、小学低学年の頃、
母親を亡くしたせいか、母親に対する愛情が人一倍強く、
いつも肌身離さず写真を持ち歩いています。
母の一周忌の時、その写真を見せて貰った私は、叔父にその写真
の焼き増しを頼んであったのです。

成人式に着た訪問着がきっかけで、和服に興味を持った私は、
お友達のお母さんに和裁の指導をお願いしました。
先生の御主人は警視庁の鑑識課に
勤めていたので、大きな事件があれば徹夜もしばしば。
いつもラジオのニュースを聞きながら内職の着物を縫っていました。

赤ちゃんの肌着から始まり、浴衣、裾よけ、襦袢、ウール、
合わせ、道行、帯など、
最後に、結婚が決まった夫へ、ウールのアンサンブルを
プレゼントに縫いました。



その時縫った着物の中に、祖母が織った絹の着物があり、
母はそれをほどいて私の教材にと、
染め直してくれたのでした。
(草木染めで柄を選んだのは私ですが)

元の着物の色柄は忘れましたが、
織りがでこぼことした、素朴な着物でした。

十数年前頃、アメリカ人の英語の先生が御自宅に招待して
下さったので、着物を体験していただこうと
着物を3枚持って行き、好きな着物を選んでいただきましたが、
その時着ていただいたのがこの着物でした。

独身時代はお茶も習っていたので、
初釜やお茶会など、着物を着る機会は多かったのですが、
その席に着ていけるような着物ではないので、
着たのは新婚時代に2度だけでした。

祖母は背が低かったらしく身丈が短かく、
私はぎりぎり着ることが出来ましたが、背の高い娘には
おはしょりが少ししか出せず、着られませんでした。
思い入れのある着物なので、断捨離の決心もつきません。

祖母の顔は伯母に似ていると思いました。
伯母が生きていればそろそろ100歳。
祖母は明治の中頃に生まれたのかもしれません。



夫のウールアンサンブル
一度しか着ていませんが、これなら座布団カバーなど、
リメイクできそうです。
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母の一周忌~今坂餅

2014-12-08 | 日記
アップが遅れ、1週間以上たってしまいましたが、
11月29日(土)、菩提寺に親族15名が集まり、
母の一周忌法要をしました。
僧侶の読経と法話の後、お墓参りや卒塔婆供養をし、
母の実家の近くの黒茶屋で会食をしました。

昨年の今頃、母は病院のベットの中でした。
意識もなくなり、話すことも出来なくなっていましたが、
手を握って声をかけると、握り返してくれました。
話すことはできなくても、私のことはちゃんとわかって
くれているのだと、涙が溢れそうになりました。
あれから一年、長かったような、短かったような・・・

会食は叔父や従姉弟たちと昔話をしながら、
和やかな雰囲気の中で行われました。
素敵な雰囲気のお店と、美味しいお料理。
紅葉も綺麗な時期だったので、
写したい写真が沢山あったのですが、
デジカメにバッテリーを入れるのを忘れていました。
先日もSDカードを入れ忘れていました。
最近の私はドジってばかりです。



お土産に昔懐かしい今坂餅を頂きました。
1つで大福4~5個分はありそうです。

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秋のお彼岸

2014-09-24 | 日記


菩提寺の観音堂と鐘楼
9月23日:彼岸の中日
実家のお墓参りに行って来ました。



父は私の長男が誕生した翌々月に、肺水腫で亡くなりました。(57歳)
突然胸が苦しくなり、自分で車を運転して病院に行きましたが、
日曜日だったので、先生がいらっしゃらず、
次の病院で、すぐに入院しましたが、急激に容態が悪化し、
その日の夜には昏睡状態となり、
意識が回復することなく、2日後に亡くなりました。
救急車を呼ばなかったことが悔やまれます。



境内の彼岸花
母は父の分まで長生きしました(94歳)が、
最後の1年は、とても可哀想でした。(脳梗塞と認知症の悪化)
元気な頃は、月命日は必ず父のお墓参りをし、
毎朝仏壇にご飯とお水を供え、手を合わせていました。



私も実家に帰る度に、(若い頃は度々)父のお墓参りをしましたが、
母はそれを何より喜んでくれました。
今回のお墓参りも、きっと喜んでくれたことでしょう。



無縫塔
菩提寺のお墓で、墓塔が卵の形をしています。

***************************

この日は秋祭り。



江戸時代から地域に伝承されてきたお祭りです。



昔は山車や子供神輿も出ていましたが、
少子化の影響で、中止しているそうです。



小学校5年生の時、写真の女の子と同じ役をしましたが、
当時、着物は自前でした。
(ここから↓は、実家近くの空き地で行われた獅子舞いです)



棒使い



獅子舞

獅子舞いを見ている間、父の弟である叔父(85歳)から
昔のお祭りの様子を聞いていると、(叔父は若い頃、笛を吹いていたそうです)
それを見ていた近くの男性に「ご主人ですか?」と聞かれました。
叔父は85歳にはとても見えないほど若いですが、
それはあんまりな・・・
ショックでした。
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お墓参り

2014-03-22 | 日記
3月21日。
実家のお墓参りに行って来ました。
家を留守に出来ないので、夫はお留守番。
自分で車を運転して実家に行くのは実に32年ぶりです。
往復で90キロぐらい、5時間以上運転しました。
最初は不安でしたが、
無事に帰ることが出来、少し自信がつきました。

実家には父の弟である叔父も
沢山のお花を持って来ていました。
弟は用事(野球の審判をボランティアでしています)
があったので、お嫁さんと
二男夫婦、叔父、そして私で出かけました。

叔母夫婦のお墓も近くにあるので、
そちらもお参りしました。
叔母夫婦は生前、実家の菩提寺が墓地を売り出した
とき買っておいたそうです。
叔母が10年前80歳で亡くなった時墓石を建て、
その後叔父も94歳で亡くなりました。
現在の所有者は従姉のMさん(私より2歳上)ですが、
Mさんは高校の数学教師を定年まで勤め、
結婚はしませんでした。
いずれ無縁墓地になるのでしょうか。

お墓で同級生のK君ご夫妻に会い、
自宅の庭で育てた紅梅を沢山頂きました。
おかげでとても豪華なお花を供えることが出来ました。

初めて菩提寺のお墓を見ました。
Reiさんのブログで見せていただいた
「無縫塔」という、卵の形をしている墓塔が
2列に渡ってずらりと並んでいました。
カメラを持っていけば良かったです。

姉弟揃ってお参りが出来、父母も喜んでくれたと思います。



庭の梅(八重)
枝をバサバサと切ってしまうので、少ししか咲きませんが、
今年も綺麗な梅の花が咲いてくれました。



青空に映えて素敵です。

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