鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2008 牧園麓・春

2008-05-18 | 麓-霧島市

天降川に沿って霧島温泉へ向かう国道223号沿いに武家門が立ち並ぶ一角がある

国道の左右に武家門が見える。国道を下ると牧園麓交差点。車の交通量は多い

 

国道沿いに建つ武家門。以前は石垣構えだったかも知れない

 

反対側に建つ武家門。こちらは石垣が健在

 

国道から脇に入ると四段積の石垣が残っている。頂部は傘石。こちらも屋敷がありません

 

六段積みの石塀。積み方が少し面白い。頂部に傘石。屋敷はなく売り地

 

 

坂の途中にある奥まった武家門。左の犬槇や中の庭木もきれいに刈り込みされている

 

国道から脇に入る道沿いに武家門があった。石垣は切出し石の五段積

 

 

 


2008 奄美大島・龍郷町

2008-05-18 | 種子屋久・奄美諸島

翌日は龍郷町で仕事

西郷松。西郷南洲翁謫居跡に向かう途中にある

安政6年、奄美大島に流された西郷を乗せた船が龍郷湾に上陸。船のとも綱を1本のリュウキュウマツの幹に結び、それから150年、見事な枝を広げた大木に成長し、いつしか西郷松と呼ばれるようになった。

西郷松の近くの民家。珊瑚の石垣と高い樹木に覆われる

 

しばらく車を走らせると、龍郷集落に入る。緑の旗のあるところが西郷南洲翁謫居跡

 

西郷南洲翁謫居跡。入館料大人200円。ガイド付き

流罪となった西郷隆盛が龍郷の有力者竜佐栄志の娘(後の愛加那)を娶り、3年間過ごした

長男菊次郎は後に京都市長となる

内部に使われている木材は比較的新しい。シロアリ等の被害のためとか

 

この時期、どこも木々が生い茂る。向こうにある茅葺の謫居跡が見えないほど

 

龍郷集落内にある教会。赤木名や名瀬にも立派な教会がある。

長崎の五島列島、熊本県の天草、そしてここ奄美大島にもキリスト教がしっかりと根付いているようだ

 

集落内はひっそりしている


2008 奄美大島・赤木名集落

2008-05-18 | 種子屋久・奄美諸島

奄美大島・笠利町のつづき

笠利町赤木名には大島代官所があった。赤木名集落は街並み景観の保全活動を進めているようです

代官屋敷跡のある通りにきれいな生垣が続く。下のブロック積みが惜しい

 

上の通りを横に入る路地にもきれいな生垣が続く

生垣の向こうに赤瓦や特有のトタン葺きの屋根が見える

 

こちらの路地には犬槇の刈り込みが続く。ブロック塀が惜しい

 

知覧に負けない大刈り込みの犬槇

これだけの大きさに揃えるのにどれだけかかるのだろう


2008 奄美大島・笠利町

2008-05-18 | 種子屋久・奄美諸島

5月14-15日、奄美大島に出張した。10:05発のJAC

36人乗りSAAB。プロペラエンジンの音と揺れが少しある以外は快適であった

バスに乗り込み、滑走路をしばらく走ると、小型機の前でバスが止まる。みんな当たり前のように降りてタラップに向かう。えっこれで奄美まで飛ぶの?と少し驚きながら、みんなについていく。後で調べると36人乗りのSAAB。満員の乗客を乗せタラップを中に収容し、定刻遅れで離陸した。約1時間20分で奄美空港に到着。

レンタカーを借りて車であやまる岬へ。いい景色だ。「この岬一帯のなだらかな地形が「アヤに織られた手鞠」によく似ていることから、いつの頃からか「アヤマル」と呼ばれるようになり、地名になったんだろうと伝えられています。」(現地の解説)

 

珊瑚礁の浅瀬(リーフ)が広がる

 

レンタカーで出張先の一つ旧笠利町の中心赤木名に移動

赤木名の海岸。東シナ海側

 

海岸沿いに珊瑚積みの石垣が残っている。大小様々な大きさ形状の珊瑚が積んである

 

 

 

赤木名集落には現役の高倉も残る。屋根は奄美独特のトタン葺き

 

赤木名集落内にある薩摩藩の大島代官所(仮屋)跡

現在は畑地。赤木名はかつて奄美大島の中心地であった

 

当時を思わせるものは珊瑚の石垣のみ。里の地名が残る

赤木名で仕事を終えた後は名瀬へ移動し、夜は「むちゃかな」で島料理