東市来麓の続き。JAの前の通り
右は鶴丸城址前の道路にも面する広い屋敷。残念ながらブロック塀。かつては石垣だったと思うが
通りを進むと永山在兼生誕地という碑がある
大正時代に釧路土木事務所長として北海道東部の道路建設に情熱を傾け、美幌峠や屈斜路回遊の道を開いたそうだ。情熱家である
先に崩れかけた武家門の残る屋敷跡があった
奥には白壁の倉も残っている。主屋は既に撤去されている。財部麓や羽月麓にもこんな屋敷跡があった
なかなか立派な門である。残していく方法はないものだろうか
左右に石垣が続く。歩いてきた道を振り返る
石柱の門
先を進むと左にカーブし国道3号線に出る。この先にも広い屋敷が点在していた