三股町山王原にある早馬神社
明治2年に都城地頭として赴任した三島通庸は庄内の地頭仮屋を役館とし、道路建設、原野開発に力を注ぎました。
その原動力として薩摩・大隅・日向の各地から多数の郷士を移住させました。
境内内にある三股開拓の碑
三島通庸は勝岡郷と梶山郷を合併して三股郷を作り、その中心をここ山王原におきました
原野を開拓するため70戸を移住させたとある
早馬神社の近くに当時の移住者によって作られたであろう町並みが残っています
石垣の上に生垣を配する独特の景観は、薩摩藩の郷士集落の町並みそのもの
生垣の途中に武家門が残っています
残念ながら門の屋根が崩れかけている。生垣はきれいに整備されている
通りの先にある薬屋。石垣は丸石の二段積み。上の写真もそうだ。
開拓当時、川原石を運んでみんなで町づくりに精を出したのではと想像する
さきほどの武家門の前に武家門が並んで建っている
道の両側に武家門が並んで建つと、さまになる
惜しいのは左側の屋敷は石垣の上がブロック塀に作りかえられていること
途中のT字路に石敢当
生垣の向こうに見かけた祠
三股町の山王原を歩くと川原石を積んだ石垣やきれいに刈り込まれた生垣、そして武家門等に、三島通庸とともに三股郷の原野を開拓した薩摩藩の郷士達の苦労や誇りを感じることができます。
(続く)