鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2007 野間半島・野間池

2007-12-04 | 薩摩地方

野間半島のつづき。

野間半島の突端、野間池は漁業が盛ん。野間池に笠沙恵比寿がある。宿泊もできる。

笠沙の風景になじむ建物。風化しても味わい深くなる建物

館内にはえびす様の数々が展示されている

 

 

 

野間半島の反対側に回る。集落が見える。こちら側のほうが集落の数が多い。

 

野間岬。風力発電所の風車が見えます。野間岬の中腹に無線のローラン局があった。

道路沿いにニニギノミコトの碑を見つけた。

笠沙宮跡の案内図。古事記・日本書記に〝笠沙”の地名がでてくる

007の映画で有名な沖秋目島が見える。

いも焼酎の杜氏の里。

多くの杜氏を輩出した黒瀬集落。焼酎造りの技術・技能が黒瀬の人によって受け継がれてきました。


2007 野間半島・谷ノ山の段々畑

2007-12-04 | 薩摩地方

野間半島のつづき

石垣群の里、大当集落の遠景。ただし、今回は訪れず

大当から野間半島突端の野間池まで、集落がわずかに点在する。

段々畑のある谷ノ山地区の風景。

昭和30年代の段々畑の風景が南日本新聞に掲載された

急斜面であることがよく分かる

町内駅伝大会の小浦地区メンバーとして、この下り坂を駆け下りたことがある

谷ノ下のバス停近くに一軒のお店があったように記憶している。今はない

もうすぐ野間池。架橋工事の最中。野間池までは細い曲がりくねった道であったが、ほとんどの区間が立派な道路に変わった。


2007 野間半島・小浦 02

2007-12-03 | 薩摩地方

旧笠沙町の小浦地区は、漁業中心の町で坂道と路地そして石垣が多い

階段を登ったところに立派な石垣の網元の屋敷があった。

借家として住んでいた。屋敷には表座敷と奥座敷があり、かなり立派な屋敷だったが、奥座敷から先は暗くて怖くて子供が覗いて入れるような部屋ではなかった。私たちが引越した後、大分たって再び訪れてみると屋敷自体が取り壊されていた。住む人がいなかっただろう。

自転車ですら通行しにくい路地があちこちにある。でも、必ずどこがでつながっているため行き止まることはない。近くの借家に学校の先生も住んでいた。

 

これはめずらしい。瓦の上に石瓦?が乗っている。台風や強風対策か。対馬の厳原(いづはら)の石屋根を連想させる。

風化した石がブロック積みされ、低いながらも塀を形作っている。左側の土地に小学校に赴任した新任の先生が住んでた家があった。30年以上も前のこと。


2007 野間半島・小浦

2007-12-03 | 薩摩地方

薩摩半島の西端に野間半島がある。そこの旧笠沙町を訪れる機会があった。

笠沙町は父の仕事の関係で4年間住んだことがある。

笠沙町の入口にある観光案内板

石垣群のある里、大当の案内板

小浦地区の全景。旧役場の下から眺める

簡易郵便局の脇から下り、小浦港の波止場の先まで車でたどり着くことができる。ただし、やっと1台通れる程度の狭い道だが。

 

波止場付近。風化した石が積まれている

波止場の先に上に登る階段がある

上に登ると海を向く祠がある