鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2008 美山 02

2008-05-06 | 麓-串木野・日置

沈寿官窯の邸内

 

 

沈寿官窯邸の先の交差点を渡り道沿いに進む

右手の奥に武家門。隠れ里のような風景

 

風景に溶け込む武家門が素晴らしい

石を2段に敷いてゆるいスロープを上がった所に門がある。白い花は何の花だろう

 

道の左側に野石積みの石垣と生垣が続く。いずれも屋敷は現在残らず

 

その先に武家門の残る屋敷があった

石垣の角を左に曲がると朝鮮神話の始祖「壇君」を祀る玉山神社への道につながる

 

美山にはキンチク竹の生垣も残る


2008 美山

2008-05-06 | 麓-串木野・日置

薩摩焼の郷・美山は、旧苗代川と呼ばれていたが、いつしか美山と呼ばれるようになった

美山の入口付近

薩摩焼の歴史、美山の歴史は、島津義弘が朝鮮半島から多くの朝鮮陶工を連れてきた事から始まる。旧苗代川は司馬遼太郎の「故郷忘じがたき候」の舞台として知られる。薩摩藩の庇護の下、陶工の村が作られ、郷士格が与えられた。彼らの作り出す白薩摩は芸術品として欧州に輸出され、藩に多くの富をもたらした。

美山案内図

 

桜馬場。道幅がゆったりしている

 

桜馬場の今にも崩れそうな武家門

前後に支えあり。美山の馬場を歩くと、残念ながら屋敷の崩れた石垣だけの敷地があちこち見られる。

上の写真の左側の樹木もよく見ると屋敷跡

隣の屋敷も武家門構え。四~五段積の石垣の上に生垣。

かつてはこのような武家門構えの屋敷が通り沿いにずらっと並んでいたのかもしれない。奥に白壁の倉。

 

沈寿官窯

御仮屋門とも見間違うべき立派な門構え。左に潜り戸を備える。柱は後方に控え柱を備え、梁および桁も太い材を用いている。突き当りを右に曲がって中庭に入る

 

桜馬場。沈寿官邸の石垣は3~4段積でその上に生垣


2008 伊集院麓

2008-05-06 | 麓-串木野・日置

日置市伊集院へ

伊集院小学校にある地頭仮屋の門

伊集院郷は薩摩藩の外城の一つ。地頭仮屋は現在の伊集院小学校に置かれた(「伊集院町誌」)。一宇治城(現在の城山)のふもとから伊集院小学校に至る一帯、さらには、その先の大光寺から光林寺一帯の地区に郷士集落が形成されたと思われる。一帯に天神馬場、麓東、麓西の地名が残る。線路を越えた猪鹿倉にも武家門が残る。

 

一宇治城(現在の城山)のふもとに残る武家屋敷

 

門の手前にシラスの盛土が見える。正月の名残りか

 

美山や日吉へ向かう幹線道路に沿って建つ武家門。背後は城山

 

大光寺の裏の小路に麓地区の雰囲気が残る

 

武家門

 

猪鹿倉地区に残る武家門

門は道路から奥まったところにある。道路から門まで両側に石塀が続く

猪鹿倉地区は市街地から線路を越えて少し高台にある

伊集院は「妙円寺詣り」で有名

「妙円寺詣り」は関が原の戦いの「島津の退き口」で有名な島津義弘の労苦を偲び、鹿児島の城下士が伊集院郷の妙円寺(現在の徳重神社)まで詣でたのが始まりとされる。妙円寺は義弘公の菩提寺。


2008 岩川麓

2008-05-06 | 麓-曽於・志布志

末吉から岩川まで足を延ばした

岩川小学校の正門。隣りのこんもりした森は岩川八幡

旧麓地区に残る武家門。この日唯一確認

 

岩川郷は幕末まで末吉郷七村の一つであった。薩摩藩の重臣、伊勢家の私領であったが、戊辰戦争の家臣団の活躍で明治2年に郷の地位が得られた。外城113の一つに数えられる

 

秋に県下三大祭の一つである「弥五郎どん祭り」が行なわれる

岩川小学校の向かいに郡役所があった

 


2008 知覧麓 02

2008-05-04 | 麓-南九州市

知覧麓の本馬場通りを歩く(続く)

石柱門

 想像に過ぎないが、当初は屋根付きの武家門だったか

見通せないように道が途中で折れ曲がる。これも麓の特徴

正面に石敢當。右側と正面とでは石垣が微妙に異なっている

道はもう一度折れ曲がる

正面は知覧型と呼ばれる二ツ家

 

二ツ家は、分棟式の建物であるオモテ(住居用)とナカエ(台所用)が次第に近づき、合体させたもの

 

 

佐多民子邸

袖屋根のあるのが本家で、ないのが分家らしい。袖屋根がない分、主屋根が左右に延びる。

奥に見える目隠しの意匠が微妙に異なっている

 

佐多直忠邸

袖屋根付き。憲法記念日。武家門には日の丸がよく似合う

 

こちらは門前の石垣の造作がよく判る

階段脇の石垣は切出し石の四段積。これに丸石積みの石垣が左右に繋がる

 


2008 知覧麓・春

2008-05-04 | 麓-南九州市

実家に帰ったついでに知覧に立ち寄る。新緑がきれいだろうと思って

麓川の橋のふもとに建つ武家屋敷群の案内碑

 

 

 

武家屋敷通りの入口

 

入口角に建つ領主御仮屋跡の碑。昭和15年建立

現在の検察庁知覧支所が御仮屋跡

 

入口から歩いて最初の武家門。腕木門。他の武家門より間口が広い

 

通り沿いに四段積みの高さ1.1mの石垣の上に2重に刈り込まれた生垣が配される。

生垣は地面から3mある。生垣の低いほうの刈り込みはサツキで(一部は茶の木が混じる)、2m前後の高さがあり、後ろの大刈り込みは最高4mに達する。庭園から眺めると築山のように見える。

通りの舗装は屋敷の庭園に配慮してシラス色に近いものを採用

反対側の石垣は高さ1.1mの丸石積み

石垣の上に地面より高さ1.8m位の茶の木を手前に刈り込み、後ろに犬槇を高さ2.2m位に切り揃えている。

 

西郷恵一郎邸

門は袖屋根付き。知覧の腕木門はいずれも控え柱を備えず。幅およそ4m、奥行き2.5m。通りから階段状のスロープを上がると、目隠し用の石垣に突き当たる。左にいったん曲がり奥に5mほど進み、右へ折れ曲がると、屋敷玄関に着く

隣の敷地の石垣どうしの繋ぎ部分。左から丸石、切出し石、丸石。景観修復の苦心?が伺える

 

こちらの門も袖屋根付き、控え柱なし

目隠しは犬槇。どの門も同じ時期に創建されたように見える。どの屋敷も通りから一段高い位置にある。道路を掘り割りし、両側に屋敷を配置したため

(続く)


2008 末吉麓

2008-05-01 | 麓-曽於・志布志

末吉麓にある地頭仮屋の門

先月訪れた時から一月余りでここまで木の葉が茂った。門が隠れるくらいの勢いだ

地頭仮屋の跡。末吉中学校の正門前に碑と案内板と碑がたっている

一帯は区画整理され、当時の面影はほとんど残っていない

財部に向かう幹線道路沿いに、末吉城の一つ南城跡の碑がたつ

 

南城跡の前に武家門のある家がある

 

近くで農作業をしているお父さんに尋ねると、このあたりにも昔、郷士が暮らしていたらしい