曽木家の茅葺門。袖屋根付き。観音開きの潜り戸付き
加治木町は島津義弘の館址のある城下町。空襲を受けたためか城下町や麓としての雰囲気に乏しい
ところが加治木町の市街地で茅葺門を見つけた
茅葺門は入来の入来院家、高山の二階堂家にもある
古文書によると、曽木家の門は曽木家の祖先が木崎原の戦いで戦死したため島津義弘から軍功として拝領した飯野城の大手御門だという
現在の門は十八世紀頃に武家門に作り替えたもの(説明書要約)。控え柱に自然木を用いている
(続く)
曽木家の茅葺門。袖屋根付き。観音開きの潜り戸付き
加治木町は島津義弘の館址のある城下町。空襲を受けたためか城下町や麓としての雰囲気に乏しい
ところが加治木町の市街地で茅葺門を見つけた
茅葺門は入来の入来院家、高山の二階堂家にもある
古文書によると、曽木家の門は曽木家の祖先が木崎原の戦いで戦死したため島津義弘から軍功として拝領した飯野城の大手御門だという
現在の門は十八世紀頃に武家門に作り替えたもの(説明書要約)。控え柱に自然木を用いている
(続く)
東市来麓の続き。JAの前の通り
右は鶴丸城址前の道路にも面する広い屋敷。残念ながらブロック塀。かつては石垣だったと思うが
通りを進むと永山在兼生誕地という碑がある
大正時代に釧路土木事務所長として北海道東部の道路建設に情熱を傾け、美幌峠や屈斜路回遊の道を開いたそうだ。情熱家である
先に崩れかけた武家門の残る屋敷跡があった
奥には白壁の倉も残っている。主屋は既に撤去されている。財部麓や羽月麓にもこんな屋敷跡があった
なかなか立派な門である。残していく方法はないものだろうか
左右に石垣が続く。歩いてきた道を振り返る
石柱の門
先を進むと左にカーブし国道3号線に出る。この先にも広い屋敷が点在していた
旧東市来町は旧市来町とともに古くは市来院と呼ばれ、中世に市来氏が郡司となって支配していた
島津氏に支配が移り地頭が置かれるようになったが、地頭仮屋は旧市来町の湊町(現在の市来支所)に移された
鶴丸小学校の正門
立派な石垣をもっている
市来鶴丸城址は鶴丸小学校の脇を登った背後の山城を指す
フランシスコ・ザビエルが来訪し城内で島津貴久との会見が行なわれた
春日神社
東市来支所前。高い石垣が続く。石垣内の建物は東市来図書館
麓下。市来鶴丸城址に向かう旧道に沿って石垣が残る。宅地分譲中
麓上。かつての麓らしい風景が道沿いに残る
石垣の上に竹垣が植えられている
脇道を少し山側へ入ってみる。左右に石垣と竹垣が続いている
(続く)
お盆休みに子供を連れて知覧特攻平和会館へ出かけた
知覧の石灯籠。特攻隊員の姿が彫られている
知覧特攻平和会館。見学者が非常に多かった
知覧特攻平和会館は旧日本陸軍の知覧飛行場跡地の一部に建てられ、多くの特攻隊員の遺品や関係資料が展示されている。若い隊員の遺書や時世の句には胸打たれるものがある。多くの隊員の遺影の中には朝鮮半島出身者のものも複数あった。
館内には日本陸軍の「疾風」と「飛燕」、甑島の手打港沖合いから引き上げられた「零戦」、復元された「隼」の各機体が展示されている。
出撃前まで隊員が共に寝泊りしたという三角兵舎
映画「ホタル」の記念碑や鳥濱トメさんを称える碑が敷地内にある
近くに富屋食堂を復元して建てられた「富屋食堂ホタル館」がある
平和の鐘をならす
知覧は陸軍の特攻基地
海軍の特攻基地は鹿屋にあった。海上自衛隊鹿屋航空基地にその資料館がある