鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2009 綾麓 綾城へ

2009-10-15 | 麓-綾・宮崎

綾城にのぼった。

 

綾城は日向伊東氏48城の一つで伊東氏の拠点として重要な役割を果たした。綾城はその後島津氏の支配となり、江戸時代の一国一城令制度により廃止され、綾に外城(麓)が置かれた。昭和60年に日本ではじめての戦国初期城楼建造物として構築。木造建造物ゆえに中世山城はこうだったんだろうと想像できる位、リアル感がある。三階の物見やぐらに登ってみた。

 

 

物見やぐらから見る綾の市街地と麓。眺望が素晴らしい。

武家門が見える。手前の杉の向こうにも別の武家門が隠れている

 

 

綾城から見る麓の風景。2つの武家門が見える。

木々が密集するところにも実は2つの武家門が隠れている

 

 

 

綾城の物見やぐらから見る眺めは素晴らしい。武家門が麓のあちこちに点在している様子がよく分かる。

こんな眺めは他の地区ではなかなか見れない。(続く)


2009 宮崎・照葉大吊橋へ

2009-10-14 | 九州

綾町の照葉大吊橋にいってみた。綾町を流れる綾北川と綾南川の上流に広大な照葉樹林帯が残っている。

 

照葉大吊橋は綾川渓谷に1984年に架橋。高さ142.0mは歩行者専用の吊橋として当時日本一を誇った。

 

照葉大吊橋をみんなでわたる。向こうまで渡って引き返す

 

大吊橋を渡る途中でVサイン。渓谷から相当な高さだ。

 

中央付近はすのこになっていて下の渓谷を覗けるようになっている。

 

 

入場料300円×4人で合計1200円。町のいい収入源。

照葉樹林文化館は照葉樹林とともに生きてきた綾の人々の暮らしを学べる。

動物の剥製やカービング(彫刻)も展示してありお勧め。

★九州山地の秘境、五家荘や椎葉をいつか訪れてみたい。


2009 宮崎・綾町へ一泊旅行

2009-10-12 | 九州

9月のSWを利用して宮崎県東諸県郡綾町へ一泊旅行に出掛けた。

綾手作りほんものセンターによる。綾町役場の隣。

綾町へのルートは鹿児島ICから九州自動車道に乗り高原ICで降りる。途中野尻町を経由する。

綾は水が綺麗だ。駐車場近くの水汲み場に多くの人が水を汲みに来る。

 

お酒のテーマパーク「酒泉の杜」へ。ここは雲海酒造が運営。綾ワイナリーも併設されている。

綾ワイン祭りに多くの人が訪れていた。

 

 

サイクリングを企画していたが予想より暑かったので、この日泊まる予定の綾川荘へ行ってみる。

公園内に遊具場があったので、子供達はさっそくユニーク自転車に乗り大喜び。

 

予約した綾川荘。目玉は離れの茅葺民家の囲炉裏端で食べる夕食。

 

綾川荘の近くを綾北川が流れる。川釣りや川遊びを楽しむ人がいる。のんびりした風景だ

 

温泉後に離れの茅葺民家へ。

炉辺で周りに串刺しの鮎を並べて中央の炭に火を起こし、網の上で地元の肉と野菜を焼く

 

 

エアコンがなく炉辺は暑くてしかたがない。炭の火おこし用の扇風機を自分に向けたら注意されてしまった。

炭に火がつくまで待ってくださいという。炭に火が十分につくと今度は脂が炭に落下し時々火が燃え上がる。

早く食べないと肉が焦げるし、火の加減はしないといけないし、落ち着いて食べれなかった。

遠赤熱でふっくらした鮎は身がほくほくしておいしかったが。子供のいい体験にはなったと思う。

参考:綾川荘(綾町役場HP


2007 綾麓を訪れる

2009-10-12 | 麓-綾・宮崎

2007年7月に宮崎県東諸県郡綾町を訪れた時のもの。薩摩藩時代に外城が綾に置かれました。

綾の麓にある路地の両側に武家門が建つ。隠れ里のような風情。

 

 

道路から奥まった位置にたたずむ武家門。同じ通りに武家門、石垣、生垣がつづく。 

 

 

 

 

畑のむこうに倉と武家門がたたずむ。

 


2009 薩摩藩麓リスト

2009-10-10 | 武家屋敷-TOPICS

薩摩藩領地内の外城(麓)のリストです。領地内の麓の数は幕末時113を数えたという。

【出水方面】1.出水 2.高尾野 3.野田 4.長島 5.阿久根
【大口・伊佐】6.大口 7.山野 8.羽月 9.馬越(菱刈) 10.曽木 11.本城 12.湯之尾
【薩摩川内】13.高城 14.中郷 15.水引 16.高江 17.隈之城 18.平佐 19.百次 20.永利(山田) 21.樋脇 22.入来 23.甑島(里・中甑・手打) 24.大村 25.蘭牟田 26.黒木
【さつま宮之城】27.宮之城 28.佐志 29.鶴田 30.山崎
【串木野・日置】31.串木野 32.市来 33.日置 34.吉利 35.永吉 36.伊作 37.伊集院 38.美山
【鹿児島・指宿】39.郡山 40.吉田 41.桜島 42.谷山 43.喜入(旧麓) 44.今和泉 45.指宿 46.山川
【南九州市】47.知覧 48.川辺 49.勝目(山田) 50.頴娃
【加世田・枕崎】51.阿多 52.田布施(尾下) 53.加世田 54.鹿籠 55.坊泊 56.久志秋目
【姶良地区】57.重富 58.蒲生 59.山田 60.帖佐 61.加治木 62.栗野 63.吉松
【霧島市】64.横川 65.牧園(踊) 66.溝辺 67.清水 68.重久 69.日当山(東郷) 70.国分 71.敷根 72.福山
【曽於・志布志】73.財部 74.末吉 75.岩川 76.松山 77.志布志 78.大崎 79.恒吉
【垂水・鹿屋】80.牛根 81.垂水 82.新城 83.花岡 84.大姶良 85.鹿屋 86.高隈 87.百引 88.市成 89.串良 90.吾平(姶良)
【肝属】91.高山 92.内之浦
【南大隅・種子島】93.田代 94.大根占 95.根占(小根占) 96.佐多 97.西之表
【えびの・小林】98.吉田 99.馬関田 100.加久藤 101.飯野 102.小林 103.須木
【都城】104.高原 105.高崎 106.野尻 107.都城 108.勝岡 109.高城 110.山之口
【綾・宮崎】111.綾 112.高岡 113.倉岡 114.穆佐


2009 薩摩藩麓の訪問軌跡 2

2009-10-10 | 武家屋敷-TOPICS

【清水】(07) 【重久】(08) 【国分】(08,09) 【敷根】(07,08) 【福山】(07) 【牧園】(08,09) 【横川】(09) 【溝辺】 【日当山】 

【財部】(08) 【末吉】(08) 【岩川】(08) 【志布志】(08) 【松山】(08,09) 【恒吉】(08,09) 【大崎】

【垂水】(08) 【牛根】 【新城】(08,09) 【花岡】(07) 【鹿屋】(08) 【串良】(08) 【高隈】(07,09) 【百引】(07) 【市成】(07) 【吾平】 (07) 【大姶良】(09

【高山】(08) 【内之浦】(08

【田代】(08) 【大根占】(08) 【根占】(08) 【佐多】 【西之表】

【吉田】 【馬関田】 【加久藤】 【飯野】 【小林】 【須木】

【山之口】(08) 【勝岡】(08) 【都城】(08) 

【高岡】(08) 【綾】(07,09 ) 【高原】 【高崎】 【野尻】 【高城】 【倉岡】 【穆佐】

【庄内】(08) 【三股】(08

地名にある数字をクリックすると見たい麓の記事に直接飛ぶことができます。


2009 薩摩藩麓の訪問軌跡 1

2009-10-07 | 武家屋敷-TOPICS

2007年以降の薩摩藩麓の訪問軌跡です。

領地内の麓の数は幕末時113を数えたという。地名にある数字をクリックすると見たい麓の記事(訪問日の最初のページ)に飛ぶことができます。容量の関係で地域を西側と東側に分けています。定期的に更新します。

【野田】(2007,2008) 【高尾野】(08) 【出水】(08) 【長島】 【阿久根】

【本城】(07) 【羽月】(07,08) 【大口】(07,08) 【湯之尾】(09) 【曽木】 【山野】 【馬越】  

【入来】(07,08) 【蘭牟田】(07) 【大村】(07) 【黒木】(07) 【高城】(08) 【東郷】(08,09) 【永利】(08,09) 【隈之城】(08,09) 【樋脇】(08) 【甑島】(08) 【水引】(09) 【高江】(09) 【平佐】 【百次】 【中郷】     

【鶴田】(07) 【佐志】(07) 【山崎】(07,08) 【宮之城】

【美山】(07,08) 【市来】(07,08) 【伊集院】(07,08) 【吉利】(07,08) 【日置】(07) 【永吉】(07) 【伊作】(07,09) 【串木野】(07)    

【今和泉】(07,08) 【山川】(07) 【喜入】(07,08,09) 【郡山】(07) 【吉田】(08) 【桜島】(07) 【谷山】  【指宿】 【鹿児島城下】(07,08,09

【頴娃】(07,09) 【知覧】(08,09) 【川辺】(08) 【勝目】(09) 

【阿多】(07,09) 【田布施】(07) 【加世田】(09) 【鹿籠】(09) 【坊泊】 【久志秋目】

【重富】(07,08) 【蒲生】(07,08) 【山田】(08) 【帖佐】(07) 【加治木】(07①,08) 【栗野】(08) 【吉松】(08


2009 東郷麓の風景

2009-10-06 | 麓-薩摩川内

東郷麓の風景

武家門と左右に続く石垣、庭木が素晴らしい。とても絵になる風景です。

 

 

 

 

隣に武家門構えの屋敷が建つ。こちらも道路の奥に位置する。

 

 

 

 

地頭仮屋方面

 

振り返ると二棟の武家門が並んでいる

 

一軒隔てて隣の屋敷跡に木々に隠れるように古い武家門が建っていた

 

今にも崩れそう

表札を見ると医学博士の文字がある。地元の名士なのだろう。

草払いの作業をしていたお父さんに尋ねるとここの持ち主は今は県外にいるらしい。

この先に面白いものがあるよと聞いて少し進んでみると磨崖仏の案内があった。

 

 

磨崖仏は戦国時代に彫られたもので、密教的な阿弥陀信仰によって鶴が岡城主渋谷東郷氏の武運長久と家運隆昌を祈るためになされたものらしい。

初めて訪れた地で素晴らしい武家屋敷に出会うのは、例えば東北地方の田舎を旅して立派な茅葺の民家に突然出会うのに似た感激がある。田圃に茅葺民家は日本を代表する原風景の一つだが武家門構えの屋敷(郷士屋敷)が点在する麓の風景は南九州の原風景の一つであろうと思います。

ここ東郷麓の武家屋敷を四季の移り変わりとともに記録に残していきたいと思う。


2009 東郷麓へ

2009-10-04 | 麓-薩摩川内

9月中旬、薩摩川内市の東郷町を訪れました。

国鉄宮之城線の旧楠元駅。

川内川にかかる鉄橋跡。鉄橋は道路橋として利用されている。

 

 

東郷元帥の祖先の墓が近くにある。東郷元帥は渋谷東郷氏の子孫にあたる

 

東郷渋谷氏の居城、鶴が岡城の関係要図

 

鶴が岡城跡の遠景

鶴が岡城は渋谷東郷氏が鎌倉時代から南北朝・室町・安土桃山時代にかけて340年居城した。

その後宮之城島津家も居城し鶴が岡城の麓に地頭仮屋が置かれた。

 

東郷麓に残る屋敷。忘れられない風景があった。

 

平佐東小学校正門。東郷町へ向かう途中にある。石柱門、石垣が残っていた。

 

東郷町は「文弥節人形浄瑠璃」の伝承地として知られる町です。「文弥節人形浄瑠璃」は江戸時代の参勤交代の際に島津の殿様の随行役をしていた東郷の郷士が郷里の師弟の士気を高めるために上方から文弥節の師匠を連れ帰り広めたものと言われている(薩摩川内市ホームページより)。

(続く)


2009 東京・丸の内散歩 02

2009-10-03 | 東京

丸の内風景の続き。昼休み時間帯は車両通行禁止。

通り全体が公園にチェンジする。

 

 

植え込みもオブジェみたいだ。

 

 

活けられた植物が街に爽やかさを演出する

 

 

古き良き丸の内のオフィスビル内に高級ブティックが軒を連ねる

 

 

丸の内は街の景観作りに色々参考になりそうだ

参考:丸の内(1)(2)(2008.2訪問)