鹿児島歴史みてあるき  ~ 外城・四季・フォト ~

     2007年から始まった薩摩藩・麓(外城)巡りの記録。各地を訪れた四季折々の風景。日々の暮らし。

2010 阿蘇山

2010-04-13 | 九州

阿蘇山へ。火山ガスのため登山禁止中。

 

 

阿蘇山ロープウェーは火山ガスのため運行休止であった。中国か台湾からの団体客も残念そうであった。

 

阿蘇中岳の火口付近1℃。昨日冠雪したらしいからなあ。

 

阿蘇山から下って宿へ向かう。途中の草千里。

 

 

樹氷を見つけた!!樹氷の向こうに米塚。その向こうに阿蘇の外輪山。

 

 

阿蘇ドライブは4年振り。4年前の画像。風力発電の回る羽が描く影をなわとびに例えて飛んでいるところ。

子供たちは遊びを簡単に思い付く。 

 

ザフィーラは故障もせずいろんな所へ遠くまで走ってくれた。今乗ってるレガシーと違い、疲れにくい車であった。

今乗っている車は長時間運転するとペダルに置いた右足がつりそうになる。実際何度か右足がつりそうになった。

運転姿勢に問題があるのかも知れないが。

 

 

4年前は南阿蘇村のペンション村に泊まった。ペンション村を捜して真っ暗の山道を先へ先へと進んだことがある。

行けども行けどもペンション村が現れず入口を間違えたことにようやく気づき苦労して引き返した。

ペンション村の到着が夜になったかというとよくばって一日で鹿児島から阿蘇~城島高原まで足を延ばしたから。

阿蘇まで引き返すと既に日が落ちていた。自分のよくばりのせい。時の宿で行われた早朝野外観察会の様子。

野生動物の足跡なども探索した。

 

 

乙姫のペンション村へ到着。宿にチェックインし離れの露天風呂へ。夕食は地元素材を使った仏蘭西料理であった。

 朝の散歩。女子学生による剣道の朝練の声が周囲に響いていた。ここでも野焼きの跡

 

 

 

ペンションの朝食。とても美味しかった。

 

宿から九重へ向かう。県道11号線(やまなみハイウェー)を登ったところの展望台より阿蘇盆地を望む


2010 阿蘇・大分周遊ドライブへ

2010-04-11 | 九州

早朝の羽田発ANA便で鹿児島空港に戻ると同時に家族の待つ車へ乗り込んだ。春休み初日。

これから2泊3日の阿蘇大分周遊ドライブに出発する。運転を交代して出発した。

溝辺ICから九州自動車道に乗る。撮影は助手席の長女

 

最初の休憩地、山江SAへ。みんなで熊本ラーメンを注文する。

九州自動車道の鹿児島~熊本間はトンネルが実に多い。20数個。助手席の長女と数えてみたが途中で諦めた

長いトンネルを2本(加久藤トンネル6260m、肥後トンネル6340m)も通過するのは正直いやになる。

長女撮影

 

 

多数の幾多のトンネルを抜けきるとホッとする。八代を抜けて熊本空港ICで降りる。

熊本空港の脇を通り南阿蘇方面へ向かう。

正面の山に焼け焦げた斜面が見えるが野焼きの跡のもよう。

俵山交流館萌の里(阿蘇郡西原村)に到着。ここで休憩する。

 

俵山の裾野に広がる野焼きの跡。ゴルフ場の手前まで野焼きが広がっている。

長男はDSに夢中。車外の景色に興味ないらしい。

 

 

阿蘇山をのぞむ。長女撮影。褒めたらカメラマン気分になったようだ。

南阿蘇村側からのルートを通り阿蘇山を目指す。

長女曰く、茶色い山肌と尖った緑の樹木のコントラストが面白い。

 

 

阿蘇山ロープウェー乗場まで到着。車の外気温なんと3℃。

火口まで車で登ろうとしたら立入り禁止であった。

(続く)


2010 東京・霞ヶ関散歩

2010-04-10 | 東京

霞ヶ関界隈を歩く。3月下旬。小雨だが桜がちらほら咲く。

桜田通り、法務省

 

桜田通り、東京地裁・高裁

 

桜田通り、外務省、財務省、奥に霞ヶ関コモンゲート

 

外務省横の潮見坂。3月下旬

 

 

 

財務省

 

霞ヶ関ビル

 

 

仕事と懇親会を終えて早めにチェックイン。シングルユースのツイン。

エレベータから遠いが角の広い部屋にアップグレードしてくれたみたいだ。一人で泊まるには勿体無い。

韓国と中国からの客が多いのでそれぞれの国のテレビ番組を流している。字幕付きで面白い。毎回楽しみ。

 

明け方の眺め。中央の西洋館は三菱関東閣。茶色の建物は山口百恵さんが住んでたマンション。

 

朝日が射してきた。 

早朝、品川駅から羽田空港へ。1時間もあれば余裕で着けると思ったが京急が途中で止まる。

空港に着いたのが出発時刻の15分前。機械の自動チェックインができず非常にあせった。

鹿児島空港で家族と合流しそのまま車で阿蘇・大分へ出発することになっている。

係員の応対で事なきを得たが早めに着くことに越したことはない。でもなかなか学習できません。


2010 指宿麓へ

2010-04-08 | 麓-鹿児島・指宿

指宿小学校(指宿市西方)の近くに松尾城の跡がある。松尾城の麓が指宿麓。初めての訪問。

 

指宿麓の全景。奥方は松尾城跡。

 

国道225号線沿い。国道を渡って松尾城跡方向へ

 

 

麓らしい雰囲気が残る。少し歩くと武家門が残っている。

 

トタン屋根が痛々しい

 

 

さらに進むと武家門がみえてきた。う~む。こんな場所に武家門が残っているなんて想像していなかった。

 

 

もと来た道を国道に引き返す。

 

国道から反対の側道へ。

 

 

国道の反対側にも武家門がある。見事な生垣が門の奥まで続いています

 

 

国道沿いに残る古いいぬまき


2010 新学期・春

2010-04-07 | 鹿児島市内

春休みも終わって子供たちは新学期。

どのクラスでどんな先生でどんな友達と一緒になるか気になるみたいだが一年楽しく過ごして欲しいものです。

鹿児島大学農学部キャンパスを散歩したときのもの。

つくし(土筆)が芽を出していた。

 

何を捜しているのだろう。

 

農学部は鹿児島市街地に広い農場をもち、ガチョウを飼っている。

 

たんぽぽを覗いていた。

 

つくしの群生地もある。

 

 

レンゲも花を咲かしていた。

  

キャンパス内をみんなで散歩する。和風庭園にて。

 

 

 

軽くバスケットして帰る。


2010 高速船ロケット・種子島へ

2010-04-05 | 鉄道・くるま・飛行機

鹿児島~種子島・屋久島間は高速船(トッピー、ロケット)が運行している。早朝に鹿児島港へ。

8:00発のロケットに乗り込む。

 

漁船もこれから漁にでるようだ。

 

漁の帰りかな? 

 

おだやかな錦江湾を航行する船とすれ違う。指宿沖。奥は開聞岳。

 

西之表港に9:35着。1時間35分の船旅。

西之表は日帰り出張。

16時30分過ぎのロケットに乗船。

 

帰りは一転して波が荒れていた。佐多岬の近くを通る


2010 西之表麓 02

2010-04-04 | 麓-南大隅・種子

西之表麓には島主種子島家ゆかりの史跡が残る。

 

栖林神社。毎年1月11日に大的始式が行われる。

 

大的始式は第12代島主種子島忠時が室町時代に宮中の御的始式を伝えたのがその始まりとされている。

種子島家当主を迎えて室町時代の様子が再現される。奉納旗にある三角の印は種子島家の家紋である。

境内の隣には種子島家歴代の墓地がある。島津家一門にあるような立派な墓が並んでいた。

 

 

栖林神社は本源寺の隣で19代種子島久基を祭る。久基は琉球王から甘藷(サツマイモ)の苗を分けてもらい

種子島でサツマイモの栽培に成功する。サツマイモはその後薩摩に渡り青木昆陽が江戸でサツマイモの栽培

に成功して天保の飢饉から多くの人々を救う。久基の功績はもっと語られてよいと思う。

 

種子島家の菩提寺。本源寺

 

参道階段の両脇に珊瑚石垣が残る。保存状態がよい

 

本源寺の境内。本源寺は明治の廃仏希釈により取り壊されたが明治16年に再興された。 

 

 

 

本源寺坂と呼ばれる通り。周辺に珊瑚の石垣が残っている。第11代島主種子島時氏が建立。

 

 

旧榕城中学校跡に残る種子島時尭像。第14代領主(島主)

 

時尭は種子島に漂着した中国船に同乗していたポルトガル人の所持する鉄砲の威力を見て大金2000両

支払い二挺を購入する。鍛冶職人八板金兵衛に鉄砲の複製を命じ、苦労の末出来上がった鉄砲は足利

将軍家にも献上された。

 

鉄砲館(種子島総合開発センター)

 

国内外の古い鉄砲や種子鋏などが展示されている。建物は横から見ると帆船の形をしている。

 

西之表市役所近くの風景

 

珊瑚ではない石垣もあった。 

 

 

 

 

 

 

 

西之表港近の八板金兵衛の像

 


2010 西之表麓の風景

2010-04-03 | 麓-南大隅・種子

赤尾木城跡(榕城小学校)。島主、種子島家の居城。

西之表麓は赤尾木城を中心としてその周辺に形成されました。

種子島家の史跡とともに麓の名残が今も残っています。

 

左右の石垣は南の島らしくサンゴが積んである。

 

榕城小学校の角から犬の馬場と呼ばれる広い馬場が真っ直ぐ延びる。

   

犬の馬場は郷士たちの乗馬の稽古場で錬兵場でもある。

犬を放して弓を射たことにより名がついたという。

 

 

犬の馬場の脇から延びる小路。樹木がうっそうと茂っている。切り通しになっている。

 

 

種子島に由緒のあるお宅のようだ。

 

麓らしく竹垣にイヌマキがみられる

 

 

 

榕城中学校跡は内城と呼ばれ、その後種子島家の居城は上之城(榕城小学校)に移った。

根占戦争とは大隅半島の祢寝氏との間で起こったいくさ。屋久島が祢寝氏に一時領有されたとある。

右は赤尾木城跡の土塁で左は榕城中学校跡。

 

突き当たりに石敢当が残る。

 

 

樹木の小路と呼ばれた通りを進む.

 

武家門が残っていた。思わずおおっと声が出る。

 

個人宅にしては随分大掛かりな工事である。鉄砲館で尋ねると市の施設として4月にオープンする予定とのこと。

種子島家の家臣の屋敷で島主の種子島家も一時居住していた。

屋敷周りにはサンゴの石垣が残っている。

訪問日:3月18日 

(続く)


2010 喜界島 03

2010-04-01 | 種子屋久・奄美諸島

喜界島の夜は居酒屋でKさん、Nさん、M会長とご一緒した。3軒ハシゴする。

喜界島の夜は熱く盛り上がる。喜界島のソールフード。ごはんを玉子焼きで巻いたもの。

 

翌朝は近所を散歩。

 

 

スギラビーチ。空港のそば。ビーチの近くには綺麗なゴルフ場もある。

 

空港近くにお洒落なお店がある。Kさん、Nさん、M会長とお昼をご一緒した。

 

 

喜界島とは言えこの日は寒く店内でストーブを焚いてくれた。鍋焼きうどんがとても美味であった。

見送って下さったKさん、Nさん、M会長、商工会のみなさん、ありがとうございました。

 

 

後記:喜界島は自然や史跡など見どころがたくさんあり、ビーチやゴルフ場はあるが観光地化されていない。

観光を前面に出さなくても産業があり生活にゆとりがあるということなのだろう。

ゆっくり過ごしたい方にお勧めの島です。