古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

赤坂今井墳丘墓(丹後・出雲 実地踏査ツアー No.3)

2017年03月15日 | 実地踏査・古代史旅
 網野銚子山古墳をあとにして3人が向かったのが京丹後市峰山町赤坂にある赤坂今井墳丘墓。府道17号線沿いにある弥生時代後期末の墳丘墓であるが、尾根の先端部を方形に切り出して墳丘を形成しており、見た感じは方墳である。墳丘全体を撮影できる場所がなかったのが残念である。

このあと訪問した丹後古代の里資料館で購入した「丹後王国の世界」から赤坂今井墳丘墓の発掘当時の全景写真。

写真右上(北西部)から墳丘上に登った。

墳丘墓近くに立つ案内板。


案内板に装備された箱(上の写真の右下に写るステンレス製の箱)に入っていた説明資料。

出土した土器、土器片に山陰や北陸など他地域のものが混じっていたことから、広範囲の交流が想定されるという。その中に摂津系の土器片があり、次に訪ねた大田南古墳群で出土した鏡の同型鏡が摂津の安満宮山古墳から出ていることと合わせて考えるとたいへん興味深い。

墳丘の北西部(尾根側、上の写真の右上の部分)から墳丘上へ。


墳丘上へ登ると思っていたよりも高くて見晴らしが良かったが、墳丘は埋め戻されてただの野原。鹿の糞があちこちに。

自作のガイドブックを見ながら何やら言葉を交わすSさんとOさん。

第4埋葬主体から頭飾りが出土。被葬者の頭位に、ガラス製勾玉、ガラス製管玉、碧玉製管玉といった玉類が規則正しく三連に連なり、碧玉製管玉と勾玉からなる耳飾りと共に装着された状態で出土した。使用された玉類は確認できたものでガラス勾玉22点、ガラス管玉57点、碧玉製管玉39点を数える。ガラス管玉の中には古代中国で兵馬俑にも使用されていた顔料「漢青」(ハン=ブルー)の主成分であるケイ酸銅バリウムが含まれていたという。

頭飾りの出土時の状況と復元された姿。(「丹後王国の世界」より)


古代丹後の里資料館でこの頭飾りを見て以降、SさんとOさんはあちこちで青い出土品を見ると「ハンブルー」とつぶやくようになった。

 天然の良港である潟湖の浅茂川湖や銚子山古墳のある網野町と弥生の環濠集落がある峰山町、あるいは古代祭祀跡が見つかった大宮売神社のある大宮町を結ぶラインは現在でも府道17号線や京都丹後鉄道宮豊線が走る幹線路であり、道路も鉄道も丹後半島の反対側の宮津へ抜けている。この幹線路は潟湖で陸揚げされた各地からの交易品を運ぶ主要路であったろう。この幹線路沿い、丹後半島の中央部に近い狭隘な地の高台にある赤坂今井墳丘墓は、丹後半島を往来する交易民の通行を取り仕切って通行料を徴収したり、時には交易品を簒奪するなどしていた王の墓ではないだろうか。この一族はやがて海岸へ進出して港を支配するようなってさらに富を獲得し、銚子山古墳を築くまでになった。弥生の王墓とも言える墳丘墓がこの地にある意味を考えてこんな想像に行きついた。

 3人はこのあと、古墳時代初期の古墳群である大田南古墳群へ向かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする