古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

大風呂南墳墓群(丹後・出雲 実地踏査ツアー No.13)

2017年03月25日 | 実地踏査・古代史旅
 籠神社・真名井神社をあとにして向かったのが初日の最終訪問地である京都府与謝郡岩滝にある大風呂南墳墓群。ここはコバルトブルーに輝く見事なガラス釧(腕輪)が出たことで一躍有名になった。丹後半島東側の付け根、野田川河口付近から大宮町の竹野川上流に通じる峠道の尾根の先端に築かれた弥生時代後期の墳墓群。1号墓は方形台状墓で、朱が敷き詰められた大きな舟底状の木棺が納められ、前述のガラス釧1個、銅釧13個、ガラス製勾玉50個、多数の石製管玉に加えて、11本の鉄剣、4個の鉄鏃、鉄製ヤスリなど多量の鉄製品も副葬されていた。

 今では木々が生い茂る山道であるが、もしもこの木々がなかったとしたら眼下に阿蘇海や天橋立を見下ろす絶景の尾根に築かれた墳墓である。墳墓の規模は大きくないが、素晴らしい副葬品の数々や墳墓が築かれた場所を考えると、弥生時代後期に丹後半島東側を治めた王の墓と考えるのが妥当であろう。大風呂南墳墓と同じ弥生時代後期、丹後半島西側には先に見た赤坂今井墳丘墓が築かれている。丹後半島には東西を分割統治する二人の王が並立していたのかもしれない。

今では埋め戻されて単なる草むらになっている1号墓跡。


1号墓から少し奥に入ったこのあたりが2号墓のはず。

真ん中に見える建物の上には携帯電話の電波塔が立っている。こんな山中にある重要遺跡が偶然にも発見されたのはこの電波塔建設のおかげである。現代人が開発を進めるに比例して古代史が解明されていく。

この案内板はカラーであって欲しかった。


大風呂南墳墓や丹後の遺跡を知りたい方に是非とも読んでいただきたい一冊。

北近畿の弥生王墓 大風呂南墳墓 (シリーズ「遺跡を学ぶ」108)
クリエーター情報なし
新泉社



 以上で初日の実地踏査は終了。まもなく日暮れがやってくる時刻になったが、途中の新井崎神社をキャンセルして伊根の舟屋に変更した以外は予定通りに行程を進めることができた。遺跡は全部埋め戻されているので遺跡そのものを確認することはできないが、その立地条件を理解し、実際にその場に立って周囲の風景や空気を五感で感じることは大いに意味があると改めて思った1日だった。

 1泊目のお宿は天橋立からすぐ近くの天橋立温泉「仁風荘」。お宿代はひとり1万円。少量だけどカニがついて、煮魚が美味くて、それに何といってもつやつやのお米が最高に美味くて、何とお茶碗に三杯もいただいてしまった。楽天の評価やコメントがイマイチだったのでかなり不安を抱いていたのだけど、宿泊客が少なくて一番広い部屋を使わせていただいたことも含めて、満足のお宿でした。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする