竹野神社を後にして向かったのが京都府与謝郡伊根町本庄浜にある浦嶋神社。この時点で予定時間をかなりオーバーしていたので先を急ぐ必要があった。しかし、ここからは丹後半島一周ルートに入る。天候も怪しくなってきてツアー初日のメインイベントである籠神社に時間内に着けるかどうか、暗雲が立ち込めてきた。
浦嶋神社は延喜式神名帳に「宇良神社(うらのかむやしろ)」と記載されているらしい。祭神は浦嶋子、つまり浦島太郎である。創祀年代は825年、浦嶋子を筒川大明神として祀ったと神社に立つ由緒に書いてある。銚子山古墳のたもとに屋敷を構えていた浦嶋児がここに祀られている。日本書紀の雄略紀や丹後国風土記に浦嶋子の説話が記されており、1300年以上を経た現在まで浦嶋伝説が語り継がれているのがすごいと思う。
「郷土の歴史と文化を守る会」が設置した由緒が書かれた説明板。
境内は駐車場からすぐ。
拝殿。
境内にある蓬山(とこよ)の庭。
事前にネットで調べた写真では石組みの前は海をイメージしたと思われる波模様が白い石できれいに描かれていたが、前日からの悪天候の影響か、木の枝や葉っぱで乱れていたのは少し残念だった。
浦嶋伝説はまだまだ勉強不足。この丹後の地になぜこのような説話ができあがったのか。記紀の海幸山幸説話との関係、塩土老翁との関係などを考えると、丹後と大和政権誕生に何らか関係があったような気がするが、今後の課題としておきたい。
参拝途中から雪混じりの雨が降り始め、気温がかなり下がってきた。先を急がねば。次の予定は徐福伝説のある新井崎神社であったが、国道をはずれてさらに岬の先まで行かねばならないため、残念ながらあきらめることにした。で、その代わりと言うわけではないが、Oさんが「伊根の舟屋」を見に行きたいとドライバー特権で主張された。ルートをあまりはずれることなく行けるのと、写真を撮るだけということで時間ロスがあまりなく、私もSさんも了承して次は伊根の舟屋へ向かった。
以上、伊根の舟屋でした。
次はいよいよ本日のメインイベントである籠神社へ。
浦島伝説のルーツをたどり浦島一族の真相に迫る一冊。
浦嶋神社は延喜式神名帳に「宇良神社(うらのかむやしろ)」と記載されているらしい。祭神は浦嶋子、つまり浦島太郎である。創祀年代は825年、浦嶋子を筒川大明神として祀ったと神社に立つ由緒に書いてある。銚子山古墳のたもとに屋敷を構えていた浦嶋児がここに祀られている。日本書紀の雄略紀や丹後国風土記に浦嶋子の説話が記されており、1300年以上を経た現在まで浦嶋伝説が語り継がれているのがすごいと思う。
「郷土の歴史と文化を守る会」が設置した由緒が書かれた説明板。
境内は駐車場からすぐ。
拝殿。
境内にある蓬山(とこよ)の庭。
事前にネットで調べた写真では石組みの前は海をイメージしたと思われる波模様が白い石できれいに描かれていたが、前日からの悪天候の影響か、木の枝や葉っぱで乱れていたのは少し残念だった。
浦嶋伝説はまだまだ勉強不足。この丹後の地になぜこのような説話ができあがったのか。記紀の海幸山幸説話との関係、塩土老翁との関係などを考えると、丹後と大和政権誕生に何らか関係があったような気がするが、今後の課題としておきたい。
参拝途中から雪混じりの雨が降り始め、気温がかなり下がってきた。先を急がねば。次の予定は徐福伝説のある新井崎神社であったが、国道をはずれてさらに岬の先まで行かねばならないため、残念ながらあきらめることにした。で、その代わりと言うわけではないが、Oさんが「伊根の舟屋」を見に行きたいとドライバー特権で主張された。ルートをあまりはずれることなく行けるのと、写真を撮るだけということで時間ロスがあまりなく、私もSさんも了承して次は伊根の舟屋へ向かった。
以上、伊根の舟屋でした。
次はいよいよ本日のメインイベントである籠神社へ。
浦島伝説のルーツをたどり浦島一族の真相に迫る一冊。
浦島太郎の知られざる顔 (シリーズ〈古代史の探求〉) | |
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