丹後半島を出発しておよそ3時間で青谷上寺地遺跡展示館に到着。しかし「まもなく目的地周辺です。案内を終了します。」とカーナビに告げられ、道路標示もそれを示しているにも関わらず、それらしき建物がない。とにかく道路標示が示す駐車場に入ると建物が4つある。1つはドラッグストアなのでこれは違う。2つめは商工会のビルでどうも違う感じ。一番小さいのがプレハブ作りで郵便局のよう。4つめの建物が「青谷ようこそ館」という雰囲気を醸し出す建物。これだろうと思って車を降りて歩き出してふと右手をみると、郵便局と思われたプレハブに「青谷上寺地遺跡展示館」の文字が。なんと、これかい。半信半疑で入ってみた。
これ、半信半疑になるでしょう。
しかし、遺跡そのものが後述するように非常に特徴的かつ重要であることに加えて、展示物が小さくコンパクトにまとめられていて見せ方が上手いので、拝観後の満足度は非常に高かった。ちなみに、入館料は無料である。素晴らしい。
郵便局かと思われた展示館の入り口を入っですぐのスペースで遺跡の概要をビデオで紹介してくれる。遺跡が栄えた当時の様子をCGで再現した映像が非常にわかりやすかった。
展示室の入り口。
青谷上寺地遺跡は弥生時代前期末から古墳時代前期初めにかけて存在した遺跡である。弥生中期後半に著しい拡大を遂げて後期に続いたが古墳時代が始まると突如として姿を消した。この遺跡について以前に書いた記事がこちら。
弥生人の脳が奇跡的に残っていた。
古代人の脳は世界に6例しかなく、そのうちの1つがこれだ。
弥生人の脳だけでなく戦いによって傷ついたと考えられる殺傷痕人骨が110点見つかった。
これらの人骨は埋葬されていたのではなく溝などからバラバラな状態で出土した。男性だけでなく、女性や子供の骨も見つかったという。倭国大乱を裏付ける遺跡であるとされる所以である。
このほかに特徴的な遺物としてサメやシカやキツネなどが描かれた板や土器がある。その絵が実に動物の特徴をよく表していて、弥生人の観察眼とデザイン力に驚かされた。また、弥生時代最大の板材を利用した護岸施設や大型建築部材、屋根の下地など、進んだ建築技術を持っていたことを伺わせる遺物も出ている。
このパネルから木材の加工技術や建築技術の高さがわかる。
個人的に興味を引いたのがこの楯である。
赤く塗られた表面に渦巻の模様がある。楯に渦巻き模様を描くのは南九州の隼人族と同じだ。青谷上寺地を拠点とした海洋族と隼人族は何らかのつながりがあるのだろうか。
このほかにもまだまだ紹介したい遺物や遺構があるがこれくらいにしておこう。この展示館を45分ほどで終わらせ、トイレも済ませて車に乗り込み、次の妻木晩田遺跡に向かおうとして気がついた。肝心の遺跡の現場を見ていない。どうせ埋め戻されて何もないのだろうけど、ここまで来て見ないわけには行かない。しかし、すぐに場所がわからず、近くの手入れのされていない空き地を遺跡だろうと勝手に思って車窓から眺めるだけにとどめた。何しろ時間が厳しいので。しかし、帰宅後に調べてみると遺跡はもう少し離れた場所にあって、発掘時の様子を説明した案内パネルが並んでいた。それともうひとつ、近くの青谷総合支所には青谷調査室というのがあって、遺跡からの出土品の収蔵状況を公開していて職員の方が解説してくれたらしい。いずれもあとの祭りだが、おそらくこれらを見に行ってると菅谷たたら山内には間に合わなかっただろうから、結果的に正解だった、と自分に言い聞かせている。
3人は次の妻木晩田遺跡へ急いだ。
これ、半信半疑になるでしょう。
しかし、遺跡そのものが後述するように非常に特徴的かつ重要であることに加えて、展示物が小さくコンパクトにまとめられていて見せ方が上手いので、拝観後の満足度は非常に高かった。ちなみに、入館料は無料である。素晴らしい。
郵便局かと思われた展示館の入り口を入っですぐのスペースで遺跡の概要をビデオで紹介してくれる。遺跡が栄えた当時の様子をCGで再現した映像が非常にわかりやすかった。
展示室の入り口。
青谷上寺地遺跡は弥生時代前期末から古墳時代前期初めにかけて存在した遺跡である。弥生中期後半に著しい拡大を遂げて後期に続いたが古墳時代が始まると突如として姿を消した。この遺跡について以前に書いた記事がこちら。
弥生人の脳が奇跡的に残っていた。
古代人の脳は世界に6例しかなく、そのうちの1つがこれだ。
弥生人の脳だけでなく戦いによって傷ついたと考えられる殺傷痕人骨が110点見つかった。
これらの人骨は埋葬されていたのではなく溝などからバラバラな状態で出土した。男性だけでなく、女性や子供の骨も見つかったという。倭国大乱を裏付ける遺跡であるとされる所以である。
このほかに特徴的な遺物としてサメやシカやキツネなどが描かれた板や土器がある。その絵が実に動物の特徴をよく表していて、弥生人の観察眼とデザイン力に驚かされた。また、弥生時代最大の板材を利用した護岸施設や大型建築部材、屋根の下地など、進んだ建築技術を持っていたことを伺わせる遺物も出ている。
このパネルから木材の加工技術や建築技術の高さがわかる。
個人的に興味を引いたのがこの楯である。
赤く塗られた表面に渦巻の模様がある。楯に渦巻き模様を描くのは南九州の隼人族と同じだ。青谷上寺地を拠点とした海洋族と隼人族は何らかのつながりがあるのだろうか。
このほかにもまだまだ紹介したい遺物や遺構があるがこれくらいにしておこう。この展示館を45分ほどで終わらせ、トイレも済ませて車に乗り込み、次の妻木晩田遺跡に向かおうとして気がついた。肝心の遺跡の現場を見ていない。どうせ埋め戻されて何もないのだろうけど、ここまで来て見ないわけには行かない。しかし、すぐに場所がわからず、近くの手入れのされていない空き地を遺跡だろうと勝手に思って車窓から眺めるだけにとどめた。何しろ時間が厳しいので。しかし、帰宅後に調べてみると遺跡はもう少し離れた場所にあって、発掘時の様子を説明した案内パネルが並んでいた。それともうひとつ、近くの青谷総合支所には青谷調査室というのがあって、遺跡からの出土品の収蔵状況を公開していて職員の方が解説してくれたらしい。いずれもあとの祭りだが、おそらくこれらを見に行ってると菅谷たたら山内には間に合わなかっただろうから、結果的に正解だった、と自分に言い聞かせている。
3人は次の妻木晩田遺跡へ急いだ。