古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

菅谷たたら山内(丹後・出雲 実地踏査ツアー No.17)

2017年03月29日 | 実地踏査・古代史旅
 妻木晩田遺跡の見学を終えた時点で予定時刻を大幅にオーバーしていたため、次の熊野大社をあきらめ、ルート変更して高速道路を利用して菅谷たたら山内を目指すことにした。タイムリミットは入館締め切りの16時。カーナビでルート探索すると到着予定時刻は16時を過ぎることになっている。ドライバーのOさんには安全運転を心がけながらも急いでもらう必要があった。高速を降りてからの山道、男3人を乗せたヴィッツはウィーンと唸りながらドライバーとともに頑張ってくれた。その甲斐あって閉館時刻の5分前に到着。
 しかし、受付に行っても誰もいない。何度叫んでも誰も出てこない。しかたなく、そのまま見学施設である「高殿」に入ることにした。おっちゃんが大きな声でお客さんに説明していた。1人でやっているからどうしようもないとのことで、料金を後回しにしてとにかく説明を聞くことした。たたら製鉄のことは以前から少し勉強していたので、実際の設備を見ながら説明を聞くとよくわかった。

高殿の外観。

ここ菅谷高殿は全国で唯一現存する建物で、嘉永3年(1850年)の火災後に修繕され、大正10年(1921年)まで操業していたという。

部屋の真ん中にある炉。

土炉の両側にふいごがある。昔は天秤ふいごを踏んで炉内に空気を送り込んでいた。もののけ姫の世界だ。現存のふいごは水車による送風に変わっている。

ふいごに空気をおくる水車。高殿に隣接しており、送風管が高殿の下を伝ってふいごにつながっている。


ふいごの裏側に地中からの送風管が繋がっているのがわかる。


炉の上部。

この屋根は開閉ができるようになっている。そして万が一のために水を湛えた大きな樽が屋根の上に備え付けられていたという。

村下座。村下(むらげ)の控えの間である。

村下とはたたら製鉄における技師長のことで、世襲で一子相伝、その技術が外に漏れることなく代々伝えられてきた。

 静かな山の中、ただ鉄を作り出すというだけの同じ目的を共有する人々によって営まれる村。高殿に炉が構築され、いざ火が入ると三日三晩、炎の状況や炉内の状況を見ながら同じ作業を繰り返す。そして出来上がる鉄の塊。それは鉧(けら)と呼ばれる。炉の構築から鉧を取り出すまでの手順はまるで神聖な儀式のようである。

高殿から車で3分ほどのところにある「鉄の歴史博物館」。


その入り口に置かれた鉧。

これを大銅場という作業場で割って玉鋼などの部位に選別した。

大銅場。高殿の横にある建物。

真ん中に見える先の尖った大きな分銅で鉧を割るという。

 この博物館で見た映像は迫力があった。炉の地下設備の構築から鉧出しまで一連の作業が映し出され、緊張しながら深く見入ってしまった。かんな流しによる砂鉄採集、ふいごの構造、炉から取り出した鉧を池に入れて冷やす様、玉鋼の取り出しなど、事前学習で今ひとつ解りにくかったことがすべて理解できた。やはり百聞は一見に如かず、だ。

 それにしても、この博物館のある街並みは雰囲気があった。お土産屋さん、飲食店、宿泊施設などを誘致して、たたら製鉄とセットにして上手に売り出せば集客力は十分にあると思うのだが。


 青谷上寺地遺跡、妻木晩田遺跡、そして念願のたたら製鉄、たいへん満足度の高い1日であった。前日の鮮やかな虹のおかげかも。日暮れが迫っている。この日のお宿は玉造温泉。山道を走れば途中で熊野大社に寄ることができる。日が暮れて参拝できないかもしれないが、とにかく行ってみることにした。



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