古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

神明山古墳(丹後・出雲 実地踏査ツアー No.9)

2017年03月21日 | 実地踏査・古代史旅
 古代丹後の里資料館を見学したあとは近くの神明山古墳へ。資料館の方に行き方を教えてもらうと目の前の竹野神社の参道わきから登る道があるというので車を駐車場においたまま向かった。

 この古墳は京丹後市丹後町宮にある前方後円墳。先に見た網野銚子山古墳、与謝郡与謝野町加悦にある蛭子山1号墳と合わせて「日本海三大古墳」と言われる。全長が190mで銚子山古墳に次ぐ規模で、古墳時代前期末~中期初頭頃(4世紀末~5世紀初頭頃)の築造とされる。
 未だに発掘調査が行われていないが、遺物として墳丘表面の葺石のほか、円筒埴輪・形象埴輪(家形・盾形・蓋形埴輪など)・石製模造品(詳細不明)・弥生土器(墳丘封土内より)などが検出されている。埴輪では丹後型円筒埴輪の破片が見られるほか、舟を漕ぐ人物の線刻を有する破片も見られる。網野銚子山古墳と同様に潟湖である竹野湖に対して葺石で覆われた墳丘の横面を見せる形式をとっている。竹野群誌によると網野銚子山古墳と同様に、日子坐王もしくは丹波道主命の墓と言われている。


公会堂の入り口にたつ京丹後市教育委員会による説明板。


公会堂の入り口から古墳のくびれ部へ通じる小道。


後円部の手前から振り返って前方部を撮影。


前方部から墳丘上へ。


後円部の頂上。



日本海を臨む。


日本海から見た葺石で覆われた墳丘。(「丹後王国の世界」より)

北西方面から見たときの現在の古墳の姿とCGで再現された葺石で覆われた築造時の姿を比較。銚子山古墳と同様に潟湖に面した場所に築かれた様子がよくわかる。太陽が西に傾きかけた頃に日本海から古墳を眺めると西陽が葺石に反射して輝いて見えたことだろう。

 それにしても、なぜこの墳丘を発掘しないのだろうか。墳丘上は見ての通り木々が茂ることもなく、いつでも掘り起こせる状態なのに。銚子山古墳の墳丘終端を確認するための発掘と比べると、ここの埋葬主体を掘る方がよほど意味があるように思うのだが。
 後ろ髪をひかれながら神明山古墳をあとにして来た道を引き返し、駐車場にもどる途中に竹野神社を参拝した。





コメント
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