古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

妻木晩田遺跡(丹後・出雲 実地踏査ツアー No.16)

2017年03月28日 | 実地踏査・古代史旅
 青谷上寺地遺跡をあとにして車は9号線バイパスに入る。途中、道の駅でランチを済ませたあと、山陰道の無料区間に入ってさらに快適なドライブが続く。大山連峰が見えてきた。このあたりは日本海からの風が強いのだろう、風力発電の風車が立ち並ぶ。




1時間近く走ってついに妻木晩田遺跡に到着。遺跡の概要はこちら。まずは資料館「弥生の館むきばんだ」で情報収集。

この資料館の展示はいただけない。遺跡の価値を台無しにするような安っぽい展示だった。青谷上寺地遺跡の資料館を見習ってもらいたい。

 そしていよいよ遺跡見学。広大な遺跡だが事前の学習でどこを見るかは決めていた。遺跡西側の洞ノ原地区の墳墓群と環壕集落、自分だけでなくSさん、Oさんにも是非とも見てもらいたいと思っていた。

遺跡全体のマップ。洞ノ原地区はマップの左下あたり。


復元された土屋根と草屋根の竪穴式住居。


内部は意外に広く、7~8人が暮らせそうだ。壁際の一段高いところがベッドスペースだ。


 洞ノ原地区は東側の丘陵上に四隅突出型墳丘墓11基を含む25基の墳墓が見つかった。弥生時代後期初頭から後期中葉にかけてのものである。妻木晩田王国前半期の王族の墓域と考えられる。

小さな四隅突出型墳丘墓群。貼り石でそれとわかる。


白く延びる遊歩道の先に環壕集落。その向こうには美保湾が広がる。美しい。


環壕集落内に復元された高床式の建物。建物越しに広がる美保湾。この光景を見たかった。


 遺跡全体が丘陵上に作られているのがよくわかる。この遺跡はいわゆる高地性集落である。先に見た青谷上寺地遺跡との関係で捉えるとこうなる。さらに四隅突出型墳丘墓の分布や変遷を合わせるとこのように考えられる。

 素晴らしい遺跡と景色を堪能して次の目的地へ向かおうと車に戻ったところで、遺跡の反対側(東側)に遺構展示館があることに気がついて、時間が厳しい中であったが少しだけ見に行くことにした。

竪穴式住居跡の発掘時の状況をそのまま保存している。



展示館のバルコニーからの眺め。遠くに日本海が見え、海岸に沿って風車が並ぶ。


 さあ、時間がない。30分の予定のところ、1時間を費やしてしまった。それだけ価値ある遺跡だったのでそれはそれでいいのだが、たたらに間に合うかが問題だ。予定では次は熊野大社であったが、いったんあきらめて菅谷たたら山内に向かうことにした。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする