日本ヨーガ学会

ヨーガ的生活

うつろな返事

2012年09月04日 21時13分53秒 | 思うがままに

皆さんにとって今日はどんな日だったのでしょう。
楽しい一日?それとも忙しい一日?ゆったりと過ごされた一日?つらい苦しい一日?悲しい一日?

どんなに大変な一日であろうと私たちの背後には大いなるものの力が厳然としてあり、その大いなるものをブラフマンだとかイーシュヴァラだとか言って私たちは尊んでいます。その大いなるもの…。それを音にしたものが聖音「オーム」です。

オームというこの音節は全宇宙であり、過去、現在、未来という一切はオームの音節にほかならない。そして、三世を超越している他のものもオームの音節にほかならない…

これは「マーンドゥーキヤ・ウパニシャッド」の一節ですが、もともとは「オーム」は「はい」「かしこまりました」という意味でした。ですからキリスト教の「アーメン」に相当すると言われています。

ところで「ヨーガ・ス-トラ」という教典にはこうあります。
「聖音オームを反復誦唱し、その意味を熟慮すべし」と。

その意味を熟慮して唱えている方は少ないのではないでしょうか。そして、「はい」という日常の返事も、相手の話を良く聴き、理解した上のものなのか?些か疑問です。

いつのことでしたか、私は「ヨーガの四季」の編集をしていて余裕のない時間を過ごしていました。休日も夜中もずっとその状態が続いていました。そんな折り、主人が「あとで…をやっておいてね」と私に頼んだのです。私には何を頼まれたのか把握していませんでしたが、わからないまま「分かったわ(はい)」という返事をしてしまったのです。

でも私の返事はうつろな「はい」でしたから全く彼を無視してしまったことになりました。

心の余裕のなさがこんな無責任な返事をしてしまったのです。その失敗から私は何でも早め早めに仕事に就き余裕をもって行動をすることにしています。身内ならまだしも、もし他人に対してこういう行為をしてしまったら私は信用をなくしてしまいますから…。

オームはとても深い意味を持つ音節です。でももっと日常的なことから見直していく…というのが私たちのホームヨーガなのかもしれません。惰性が今の自分を作っていることに気づくことなのですね。(荻山貴美子)

 

 




 

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