主人が救急搬送されてから、最後の76日中、59日は入院でした。17日間は在宅看護。
彼がいつのまにか入っていたガン保険は発症する3年前。60日間入院保障の保険でした。まるで計算していたみたいな入院でした。
人は年齢に関係なく残された者はすべてその死を悼みます。
若くして亡くなれば早すぎると言い、壮年で亡くなったら、まだまだ計画途中だと思い、100歳まで生きた人でもやはりまだまだ生きて欲しい…と思います。
愛する人の死を悼むのに、一体どのくらいの時間がかかるのでしょう。
そそっかしい私はしょっちゅうコップを割って血だらけになっていました。そんな時、主人はすぐに傷テープを出して手当てをしてくれました。
私が危なっかしくて見ていられなかったのです。
その心配してくれた人はもういない。
涙は涸れるまで流しました。しかし、不意に襲ってくる寂寥感、不安、恐怖。一体どこからこの感情が湧いてくるのかわかりません。
毎日のように私を心配してくれて電話をくださる方とは、元気に話せるのに不意にやってくるんです。
喪失の苦悩と愛の深さは比例します。だから喪失から逃げることはどうしてもできないんです。
私は幸せ過ぎたんです。だから今の苦悩は過去の幸せの一部に過ぎないんですね。
私たちはいつも予定をたてます。明後日は、ヨーガまんだら講座。プリントの用意をして備えました。
たとえば明日、映画に行くとしたらそれなりの準備をします。
それなのに、人生最大のイベントである死だけは準備なし計画なしです。
だからなかなか受け入れられない。
悲嘆は避けることができません。癒すことも困難極まりない。
悲しむことにタップリ時間をとることによってしか、最悪の状態から立ち上がることはできないような気がします。だからもう少しお時間をくださいね。
何しろ、生まれてはじめて味わっている最大の苦悩なんですから…。(荻山貴美子)