「お茶飲む?」
「うん、飲む飲む」
「果物食べる?」
「うん、食べる食べる」
主人と私のいつもの日常的な会話でした。
亡くなる3日前も聞きました。
「桃食べる?」
「うん、食べる食べる」
小さく切って食べさせてあげました。
「上手い!」
それが最後に聞いた言葉でした。
人間は生まれる時はひとりですが、召される時はひとりではないように思います。
4月の入院の時、彼は「亡くなった親父とおふくろの夢を見た!」と、ポツリと言いました。私は不吉な予感がしました。
亡くなる一週間前は盛んに左手を空中にあげていました。まるで誰かに呼ばれているようでした。遮るように私はしっかり彼の手を握りました。
人は召される時は何かに導かれる…と確信しました。だからひとりじゃない!と。
この3カ月私はテレビを観ていません。時間があれば本を読んでいます。ニュースも見たくない。一緒に感動したり笑ったりできないですから…。
私の言うことは何でも叶えてくれた人でもこればかりは無理なお願いですね。
何で私を置いていっちゃったの?
私の弟からLINEがありました。
「石神井池で灯籠流しがあるのだけど来ない?先に逝った人達に感謝と祝福を…。見送ってあげましよう」と。
弟は東日本大震災の年に16歳の息子を亡くしました。
彼の岸で大好きな博おじちゃんに会っているかな?それとも、甥はもう生まれ変わっているかな?
灯籠流し、勿論いきますとも…。(荻山貴美子)