佐賀から戻りました。
明日は西武カルチャー。帰りにお買い物でもして帰りましょう。
楽しい連休をお過ごしください。
おはようございます。
佐賀のホテルにいます。
BS1で「穂高を愛した男」を観ました。
宮田八郎さんは、山番として長年山荘業務に携わり、多くの登山者を救ったレスキュー隊の一員でもありました。
人を寄せ付けない穂高の厳しさと美しさを映像に収めていましたが、不慮の事故で亡くなったようです。
何のために山に登るのか?
生きるためだそうです。
テレビでも十分に息を飲むような幻想的美しさを観ることができました。
佐賀に着きました。
今日は夫の月命日です。半年になりました。
今でも毎日、iPhoneの写真や動画を眺めては愛嬌のある姿にクスッと声を出して笑います。
どこに行っちゃったの?
もう帰ってこないの?
と何度も語りかけていましたが、今は間違いなく私のそばにいる…と実感できます。
遅ればせながら「はなちゃんの味噌汁」を知りました。33歳で乳がんで亡くなった母親が4歳の娘に味噌汁の作り方を教えたという話。
今、はなちゃんは高校生。10年以上過ぎました。
はなちゃんの料理の腕前は、レシピまで出すほどです。
確かに、はなちゃんの中に母親は生き続けていますね。
若年性認知症の夫に手を焼いている奥さんをYouTubeで偶然見ました。
暴言の言いたい放題。
朝から夜寝るまで、ターゲットは奥さん。やっと寝付いた夫を見ながらどうぞこのまま目が覚めませんように…と祈ったそうです。
「お前は人生最大の失敗だ!」とわめき、挙げ句の果てにヘルパーさんに恋をして
「俺も年頃だからそろそろ結婚しようかな?ママ頼むよ」
奥さんは戸惑い
「私は誰なの?」
すると夫は
「ママはママだよ」と答えたそうです。
病気になる前はそんなことを言う夫ではなかったそうです。
51歳で発症し、63歳で亡くなったとか…。
何とも切ない話です。
若年性認知症の
「小さいながらも貴美子先生が転んでも起き🤩🤩上がりの手助けをするように念を送ってますから」
というメッセージを添えてダルマさんをいただきました。
ありがとうございます。お一人様の大先輩。(笑)
私「洋間の本棚を見てくれない?インド神話の調べてもらいたいことがあるの」
夫「いいよ」
私は出張先で、どうしても本で確認したいことがありました。
本を探してくれている間、夫の鼻唄が聞こえてきました。
「ジャヤ・ガネーシャ ジャヤ・ガネーシャ ジャヤ・ガネーシャ パーピマン」
夫「あったよ。どこを見ればいい?」
私「ありがとう!でもね。パーピマンじゃなくてパーヒマンなのよね〜」
笑いました。
懐かしの一コマです。
今日も良いお天気です。
300年ほど前、インドネシアのある島にダンサーがいました。
夫もダンサーで、2人は愛し合っていました。男の子が一人いました。平和で満たされていて、何不自由なく暮らしていました。それはそれはのどかな毎日でした。
しかしある日、夫と幼い子どもは海で事故死したのです。
突然、愛する夫と息子を亡くした彼女は寂しささえ感じ取れない、感情が麻痺した毎日を送りました。つまり受け入れることができなかったのです。
彼女の人生は夫と子どもと共にありましたから2人を突然失った悲しみで抜け殻になってしまいました。
抜け殻のまま60歳の命を閉じました。
何を隠そう、私が瞑想で知った私の前世の一コマです。勿論夫は、亡くなった今生の夫でした。
姿形はまったく違い、今でいうジャニーズ系。(笑)
この人生で学ぶべきことは、依存するな!と言うことでした。
まさにお釈迦さまの教えです。
【おのれこそおのれのよるべ
われならでたれによるべぞ
ととのえしわれのちからに
まさるものいずこにあらん】(神田寺)
ダンマパダ(法句経)
2020年、私は今ここにいます。
夫はまだ霊界にはいません。
何故ならば、まだ精神的自立をしていない私が心配だからです。
しかし、この年末年始で私には大きな心の変化がありました。
死別の苦しみを味わった人々の生き様をYouTubeでたくさん見ました。
どんなに壮絶な病気との闘いであったにせよ、すべての人が安らぎの世界に帰ったということには間違いないでしょう。
そして愛する人に看取られた人はそれだけで幸せであり祝福された人生に違いありません。
それぞれの人生にそれぞれの愛の形があります。
夫は痛みに悶絶することもありませんでしたし、何年も寝込むことはありませんでしたから、私たちのように幸せな別れは少ないのではないかと思えるようになりました。
そういうわけで明治神宮でのお祈りは感謝しかありませんでした。
来世でもまた出会えることを確信していますが、私の今生でのこれからの修行は厳しいものです。
人との関わりを大事にしながら依存しない…ということ。
年末に、実弟家族が一緒に食事を…と誘ってくれました。嬉しかったけれど私にはどうしても一人で越年する必要がありました。
案の定、夫は確かに一緒にいました。
夫が私に残してくれたもの。
勿論目に見えるものも侮れない大事なことです。
しかし、目に見えないものの方が、はるかに大切なものです。
明日からいよいよ授業が始まります。
田原豊道先生と明治神宮に来ていました。
思ったより混んでいました。
私のおみくじです。
峰
大空にそびえて見ゆるたかねにも
登ればのぼる道はありけり
明治天皇御製
大空に高くそびえ立っている険しい峰々にも、登って行けば、自然と登り得る道はあるもの。必要なのは、頂上を究めなければ止まない勇気と努力です。
とありました。
精神一到なんですね。
かれこれ一時間半は歩いたでしょうか。
田原先生が、「私も年ですね〜」と呟いておいででした。
いえいえ、田原先生は元旦から絶好調です。
おはようございます。
来週9日が夫の半年目の月命日です。
九州になりますので、今日お墓まいりに行ってきます。
まだ半年なんです。もう少し見守ってくださいね。
築地本願寺は、浄土真宗本願寺派の直轄寺院です。
発祥は1617年、西本願寺の別院として建立されました。
1923年の関東大震災による火災で焼失したため、建築家の伊東忠太氏の設計で、古代インド仏教様式の外観で1934年に本堂が落成したそうです。
日本にインドがある!
何十年も前に東京瑜伽大学ゼミナールの会場として選んだ私は一目惚れしていました。
そして2年ほど前、ニュースで合同墓ができたことを知りました。
迷わず私たち夫婦はここに入ることに決めました。
毎日の読経、行き届いた清掃…。
夫が一足先に入っていますが、私も入るところが決まっているので安心です。
命には限りがあるから、そういう意味では皆が今は残された時間。
生まれてからこの世を去るまでの一生は、宇宙的に見るとほんの一瞬でしかありません。
居なくなってからこそ感じる夫の存在感。年末年始は私の正念場でした。
変なことを言います。
今までこんなことなかったのですが、大晦日にこんなことがありました。
「いいね、いいね」と言う夫の声がしたことはお伝えしていましたが、元旦の夜中に小さな物音が数時間していました。音の所在はついにわかりませんでした。
何だか夫だったような気がしました。
昨年は、奉仕は愛を育むことを学びました。
私にはカルマヨーガが一番似合っているようです。
思いがあればあるほど夢にはあらわれないらしいです。
こんなに毎日思っているのに、何で夫は私の夢にあまりあらわれないのでしょう?
とても不本意でした。
ラジオ番組で江原啓之さんがこう言っていました。
1パーセントの愛がわからない人は100パーセントの愛は得られない。
死者が夢に頻繁に現れるのは思いが足りないからだ…と。
う〜ん、納得。
だから毎日夢にあらわれて!と願うのはもうやめます。
今年は、お正月が実質明々後日まで…。
皆さん、良いお正月を…。