日本ヨーガ学会

ヨーガ的生活

人生は旅景色

2020年02月10日 00時07分39秒 | 思うがままに

こんばんは。

今日は西武カルチャーでした。

 

帰宅してすぐに通信講座のテキスト作り

 

でも今日は店じまいです。とは言えもう0時過ぎました。

 

今月のヨーガ・スートラは、私にとって一番胸に迫るところです。

寿命とは?

仏教では定命(じょうみょう)という言葉を使います。

 

生まれる前から定められている寿命。

つまり宿命ですから変えられない

 

さてさて、いったい私は何年何月何日に死ぬ定めなのでしょう。

 

人生は流れてゆく旅景色そんな歌がありましたが、

「生まれてきてよかったなぁ、と思うことが一度や二度はあるじゃない。そのために人間生きてんじゃないのか?」

 と寅さんの声が聞こえてきそうです。

 私の課題はひとり旅。

 

そんな難しいことではないのにと言われそうですが、私にとっては大冒険。なにせ未経験なことは大冒険なんです。

 

でも近いうち実現させます。

 

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居心地の悪さ

2020年02月08日 22時23分09秒 | 思うがままに

お昼から弟の家族と食事会。夜までお茶をしていました。

 

東京に住んでいる私の唯一の近しい親戚です。

仲の良い家族を微笑ましく思います。

 

帰宅してから着替えもそこそこにテキスト作り。ふと我に帰り、私は実に遊びのない人間だったことを身に染みて感じてしまいました。

 

結婚前は友人と少しでも羽目を外して遅く帰宅しようものなら大変でした。一度だけ夜11時の帰宅をしましたが、わざわざ電気を明々とつけて家に入りにくくされました。その思いを二度としたくなかったのでそれ以降は優等生の娘として過ごしました。

 

親も私もそれを良しとしていました。

私の友人は割と晩婚でしたが、思い切り独身を謳歌したので思い残すことはないと言っていました。

 

今になってつくづく思うことは、人は思い切り遊んだほうが良いと言うことです。

 

友人たちと門限を気にしない自由さ。ひとり旅。満喫すべきでした。

 

遊びも訓練がいるということなんですね。遊び方がわからない。(笑)

 

夫は自由にさせてくれましたが、私たち夫婦はあまりに仲が良すぎプライベートタイムはいつも2人でした。

 

少し距離を置いておいたほうがよかったのかもしれません。

 

こんな多忙な私がまだ埋められない何かを感じているのです。

 

夫がガンを告知されてからずっと張り詰めていた数年。

突然タガが外れてしまい、地に足がついていない、心地悪さと不自然さを感じながら過ごしています。

 

 

 

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通信講座

2020年02月08日 00時17分07秒 | 思うがままに

通信講座のテキスト作成中です。

明後日くらいまでかかるでしょう。

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聞き上手

2020年02月06日 20時44分34秒 | 思うがままに

徹子の部屋の昔々のものをYouTubeで見ました。

 

徹子さんが若くて美しい。

この日のゲストは三波春夫さん。

 

徹子さんの引き出し方が上手なので三波さんは冗舌に語ります。

戦争のこと

捕虜になっていたときのこと

 

たくさんの人を歌で勇気づけた人も役割を終え天に召されました。親友だった永六輔さんももういません。

 

それにしても徹子さんは聞き上手です。

 

 

 

 

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安楽死は是か非か

2020年02月05日 22時56分29秒 | 思うがままに

アッと言う間に2月に入ってしまいました。

 

ブライアン・ワイス博士の本にこんな一文がありました。

 

【死とは自分自身が忘却の淵や暗黒の闇の中へ消滅することではないということがわかる。死とはただ、魂にとって肉体がもう必要ではなくなったということだと、多くの患者が私に教えてくれた。魂が身体を抜け出して、非物理的な霊的な世界にゆく時が来たのだ。意識は不滅であり、人格もまた不滅なのだ。】

 

橋田壽賀子さんは『安楽死で死なせてください』という著書の中で語っておられるそうです。

「会いたい友達や思いを残す相手もいないし、生きていて欲しいと望んでくれる人もいません。あとはもう他人に面倒をかけたくないだけ」と。

 

橋田壽賀子さんは死んだら無になると考えておいでです。対照的なのは佐藤愛子さんです。佐藤さんは霊的なもの、輪廻転生を信じていらっしゃいます。

 

夫が亡くなるまでは私は安楽死をよしとしていましたが、4月18日にご講演をお願いする山田陽介先生とお会いしてから変わりました。安楽死は殺人なのです。

私が望むのはあくまでも尊厳死です。

 

数年前から夫婦で入会していた尊厳死協会は今年は私一人が更新することになりました。

 

輪廻転生を信じれば自ずと「尊厳死」「平穏死」「自然死」という考え方に至るのではないかと思っています。

 

夫がなくなるまでは死とはまだまだ遠くのことと思っていましたが、本気で考えるようになりました。

 

まもなく東京瑜伽大学ゼミナールの先行受付がはじまります。会場はマックス120人になります。早めのお申込みをお願いします。

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ご出産?

2020年02月04日 15時48分45秒 | 思うがままに

何年前だったでしょうか。

夫に東武百貨店のレスラン街に大阪ぼてぢゅうが入ったことを教えてあげました。

 

私が地方に行っている時、早速お店に入った夫が「美味しい店を教えてくれてありがとう」と、とても喜んだメールが来ました。

 

今日は、そのお店のランチタイムに入りました。

はやばやと税務署に申告書を提出してきたので、その帰りに遅めのランチをしたのです。オヤツの時間ですけど

 

昨日のブログを見直してビックリ!

臨死体験が臨時体験になっていました。

 

変換時に間違えたのですね。

 

変換で思い出しますが、ある方に出欠のお返事をいただくメールをしたのです。

出席します…とするところ、「出産します。よろしくお願いします」と返事が来ました。

 

私は「いつのまにかご懐妊だったのですね。ご出産おめでとうございます」とイジワル返信をしました。

他人のミスは見逃さないのです。(笑)

 

「きゃあ〜」と返信がありました。

 

漢字変換にご用心!

 

 

 

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ハレルヤ

2020年02月03日 22時18分57秒 | 思うがままに

キリスト教ではハレルヤを唱えます。私たちはキールタンでも歌います。

 

亡くなった人に対してもハレルヤという言葉をかけて祝福します。

 

ハレルヤとは、「おめでとう」「よかったね」という意味だそうです。

 

鈴木秀子先生の受け売りです。

シスターは臨死体験をされています。人生の最後が「幸せ感」に満ちたものであることはシスターが保証してくれています。

 

私は自分自身に語りかけます。魔法の言葉「ハレルヤ」を

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天国に留学

2020年02月02日 23時43分47秒 | 思うがままに

江原啓之さんが言っておられました。

不慮の事故で亡くなった5歳の娘さんを諦めきれない両親に「あなたの娘さんは天国に留学したのです。だから元気で見送りましょう」と。

 

そうですね。

私も夫は留学していると思っています。

 

私が留学するとき、先輩としてエスコートしてくれるでしょう。そのとき、

「君、一所懸命に学んだね」と褒められるように日々を送りましょう。

 

夫を失ったことで私は死が怖くなくなりました。そして、ガンさえも

 

ラインホールド・ニーパー氏の

 

「変えることのできないことに対しては、それを受け入れる心の静けさと

 

変えることのできることに対しては

変える勇気を

 

は大好きな詩です。

 

この見極めが聖なるあきらめだと私は体験から学びました。

 

変えられないこと

それは宿命です。

これは執着せずにあきらめること。

 

これこそ聖なるあきらめ。

それは、自分も周りも幸せにする行為だとシスターの鈴木秀子先生もおっしゃっています。

 

悲劇はいつ誰に起こるかわかりませんが、それは必ずしも不幸ではない。

 

現実を受け入れたくないという執着は、現実を見えなくさせます。それが不幸のはじまり

 

そんなことを自分自身に言い聞かせています。

 

水戸の集中講座に行ってきました。そういえば311のとき、水戸駅は信じられない状態になっていました。

 

茨城も大惨事だったのです。そんな最中でも皆さんは明るかったです。

 

授業中に大きな余震があった時、田原豊道先生が「今のは震度いくつかい?」とお聞きになりました。

皆さんが声を揃えて「4」と答えました。たびたびの余震で体感でわかるようになっていたのです。

 

あれからあっという間に9年が経ちました。

 

中島みゆきさんの時代という歌にあります。

 

🎵今はこんなに悲しくて

涙もかれ果てて

もう二度と笑顔には

なれそうもないけど🎵

 

私もまさにそんな心境になりましたが、人は立ち上がる逞しさも持っているものです。

 

 

 

 

 

 

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悲嘆の4つの課題

2020年02月01日 23時24分31秒 | 思うがままに

死別の悲嘆研究の第一人者、ウィリアム・ウォーデンの本を読んでみました。

 

彼は、悲嘆のプロセスは4つの課題をこなしていくことだと言っています。

 

第一の課題は愛する人はもういないと認識すること。

 

葬儀や命日の行事などは死の容認を助けることに確かに役立ちます。しかし、何年経ったからこの第一段階をクリアできるというものでもなさそうです。

 

第二は、死別の悲しみを体験すること。

 

私の場合は多忙に追い込み、悲しみを押さえつけようとしましたが、いくら上手に押さえつけても何かの折にフラッシュバックは起こります。

 

第三は、愛する人のいない環境に適応すること。

 

夫が亡くなってからは何から何まで私一人でこなさなくてはなりません。しかしこれは段々とできているような気がします。

 

第四の課題は気持ちの中で故人を位置付けなおし、日常生活を続けていくこと。

私は可愛い供養具を作り毎日夫に話しかけています。そしていつも夫がそばにいる…と思えてきたらマメにお掃除をするようになりました。記憶はかき消されてしまったわけではなく、遺された私の一部となっているわけです。

 

課題はこの順番で行われる必要はなく、このうちいくつかの課題を行ったり来たりしながらこなしていくとされます。

 

私はすべての課題を行きつ戻りつしています。

こうして、日にち薬も少しずつ効き始め人は立ち直っていくのでしょう。

 

今日は青山NHKの集中講座でした。

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