慈 は人を喜ばせたい心
悲 は人の痛みに共感すること
喜 は喜びを共にする心
捨 はこだわりを捨てる力
お釈迦さまの悟りの徳として説かれたのが 「 四無量心 」 ( しむりょう
しん ) ということです。
誰にでもどこまでも、無量に広がっていく四つの心、ということで 「 四無量
心 」 と名づけられています。
『 慈 ( じ )・悲 ( ひ )・喜 ( き )・捨 ( しゃ ) 』
の四つです。
今読んでいる本の中で、ガン看護専門の看護師育成の授業の中での、お話を紹介
させていただきます。
( 1 ) いらだち
愛する家族が病んだとき、
家族・親族は 「 なにかをしたい 」
なのに何もできない 「 いらだち … 」
そんな時、そのいらだちをどこかに向けたくなるものです。
手術を…。 薬を…。 理学療法を…。
あるいは、
医者が間違っている。
治療がおかしいのでは。
家族が早く気がつかなかったからだろうか…。
手術をしないのは、家族が薄情だからに違いない…。
さらに家族は、
この病院に入れたのは間違いだったのでは…。
私のやり方が間違っていたのでは…。
患者の希望を入れて、過剰な治療をやめたのも…。
何もかもが負い目を作ります。
でも大切なことは、患者さんのこころを満たすことです。
それが見えてきたら、いらだちは、優しさに育つでしょう。
そばで看護している人は、患者を見ているし、やるべきことをしているから、
患者が手術はしたくないといっても、それを認められます。それは負い目がないか
らです。
ところが、直接看護しないでいる親戚などは、愛の欲求不満から、負い目が生ま
れて過剰医療で愛の穴埋めをしたくなるのです。それを 「 遠くの親戚 」 と
いいます。
患者と、看護してきた家族の経過や心をよく聞いて見たら、その負い目は解消で
きるのです。
慈・悲・喜・捨 について、こんな解説があります。
慈 は人を喜ばせたい心です。あらゆる生き方の場で 「 善きこと 」 をとる力で
す。
悲 は人の痛みに共感することです。それは他者を痛めない力です。
喜 は喜びを共にする心です。それはすべてのいやなことを捨てさせる力です。
捨 はこだわりを捨てる力です。欲望を捨てさせて心を自由にさせる力です。
患者と家族は病気を通して 「 慈・悲・喜・捨 」 をさせられ、無量の広い
心が働きだすのです。
( 2 ) 最善の努力
病気を治すために、あらゆる手だてを尽くしてください。
でも、年老いた身体を、若返らせることはできないでしょう。
休みたいといっているいのちに、ムチをいれたら壊れてしまうでしょう。
眠りたいといっているいのちは、眠らせてあげましょう。
それも最善の努力のしかたです。
( 3 ) 家に帰る
ある患者はいいました。
家に帰ってわかったことは、
家は自分の落ち着き所、家族は希望だということ、
私にはもうなにもできないということ、だった。
でも、私の生きた証だった。
それを確かめられたから、とても落ち着いたのよ… と。
患者も、家族も、いのちの事実を見つめていくうちに、それにしたがっていく智
慧と優しさが芽生え、その病の中で、よかったといえる生き方ができるのは無量の
心なのですね。
とてもとても長くなりましたが、父を亡くしたこともあり、見取っていくという
ことの中からずっと考えていたことが、この言葉に出会えて、少し安らぐ気持ちに
なりました。
悲 は人の痛みに共感すること
喜 は喜びを共にする心
捨 はこだわりを捨てる力
お釈迦さまの悟りの徳として説かれたのが 「 四無量心 」 ( しむりょう
しん ) ということです。
誰にでもどこまでも、無量に広がっていく四つの心、ということで 「 四無量
心 」 と名づけられています。
『 慈 ( じ )・悲 ( ひ )・喜 ( き )・捨 ( しゃ ) 』
の四つです。
今読んでいる本の中で、ガン看護専門の看護師育成の授業の中での、お話を紹介
させていただきます。
( 1 ) いらだち
愛する家族が病んだとき、
家族・親族は 「 なにかをしたい 」
なのに何もできない 「 いらだち … 」
そんな時、そのいらだちをどこかに向けたくなるものです。
手術を…。 薬を…。 理学療法を…。
あるいは、
医者が間違っている。
治療がおかしいのでは。
家族が早く気がつかなかったからだろうか…。
手術をしないのは、家族が薄情だからに違いない…。
さらに家族は、
この病院に入れたのは間違いだったのでは…。
私のやり方が間違っていたのでは…。
患者の希望を入れて、過剰な治療をやめたのも…。
何もかもが負い目を作ります。
でも大切なことは、患者さんのこころを満たすことです。
それが見えてきたら、いらだちは、優しさに育つでしょう。
そばで看護している人は、患者を見ているし、やるべきことをしているから、
患者が手術はしたくないといっても、それを認められます。それは負い目がないか
らです。
ところが、直接看護しないでいる親戚などは、愛の欲求不満から、負い目が生ま
れて過剰医療で愛の穴埋めをしたくなるのです。それを 「 遠くの親戚 」 と
いいます。
患者と、看護してきた家族の経過や心をよく聞いて見たら、その負い目は解消で
きるのです。
慈・悲・喜・捨 について、こんな解説があります。
慈 は人を喜ばせたい心です。あらゆる生き方の場で 「 善きこと 」 をとる力で
す。
悲 は人の痛みに共感することです。それは他者を痛めない力です。
喜 は喜びを共にする心です。それはすべてのいやなことを捨てさせる力です。
捨 はこだわりを捨てる力です。欲望を捨てさせて心を自由にさせる力です。
患者と家族は病気を通して 「 慈・悲・喜・捨 」 をさせられ、無量の広い
心が働きだすのです。
( 2 ) 最善の努力
病気を治すために、あらゆる手だてを尽くしてください。
でも、年老いた身体を、若返らせることはできないでしょう。
休みたいといっているいのちに、ムチをいれたら壊れてしまうでしょう。
眠りたいといっているいのちは、眠らせてあげましょう。
それも最善の努力のしかたです。
( 3 ) 家に帰る
ある患者はいいました。
家に帰ってわかったことは、
家は自分の落ち着き所、家族は希望だということ、
私にはもうなにもできないということ、だった。
でも、私の生きた証だった。
それを確かめられたから、とても落ち着いたのよ… と。
患者も、家族も、いのちの事実を見つめていくうちに、それにしたがっていく智
慧と優しさが芽生え、その病の中で、よかったといえる生き方ができるのは無量の
心なのですね。
とてもとても長くなりましたが、父を亡くしたこともあり、見取っていくという
ことの中からずっと考えていたことが、この言葉に出会えて、少し安らぐ気持ちに
なりました。