答えが出るわけではありませんが、
ずっと頭の中からはなれない問題です。
先日お参りに行ったお宅で、70歳を過ぎて、
「 自分の人生はこれでよかったのだろうか? 」
「 自分は生まれてきてよかったのか ? 」
このような疑問が次々と生まれてくるのです。
「 人はなぜ生きるのか ? 」
トルストイは 「 愛があるから 」 といわれていたと思います。
先日、『 ゴンジュニ 』 通称 『 ジュニ 』 が
突然去ってゆきました。
スタッフブログで 「 丸山さん 」 が紹介した
次の日でした。 とてもきつい別れでした。
『 ゴンタ 』 という、風采の上がらない皮膚病にもかかっている
ニャンコが菩提樹苑の事務所にやってきたのです。
付かず離れずの距離を保ちながら、
そのとき、どう見ても 『 ゴンタ 』 にそっくりの
子どもがやってきたのです。
『 ゴンタ 』 はオスですので、 「 父を訪ねて3千里 」
ということでしょうか。
それで 『 ゴンタのジュニア 』 ということで 『 ゴンジュニ 』
と命名され、普段は 『 ジュニ! ジュニ ! 』 と
呼ばれ、可愛がってもらっていました。
最近やっと、人に体を触らせるようになり、
丸山さんにはすっかりなつき、撫で撫でしてもらうのが、
一番の楽しみになったようです。
丸山さんが 『 ブログ 』 にアップした時が
最高に幸せな顔をしていました。
『 ジュニ 』 にとって、丸山さんとの出会いがなかったなら、
本当に 「 愛 」 ということを知らずに、
ただ、生まれてきて、ご飯食べて、必死に生きた
ということだったと思います。
たとえ短い時間ではあったと思いますが、
『 ジュニ 』 にとっては 『 愛してもらう 』 という
喜びを感じ取ってくれたと思います。
その一点において、『 ジュニ 』 の命は完成した
と思うのです。
最後になったブログの写真が本当に、
「 ありがとう!! ぼく幸せだったよ !! 」
と言っているように聞こえます。
私たち人間の使命は、声なき命の声を
聞いて、完成していく、ということが
人間の使命のように思います。
「 ゴンジュニ、ありがとう !
一生懸命の命
私たちの心にもゴンジュニを愛する心を頂きました。
ありがとう ゴンジュニ 」
ずっと頭の中からはなれない問題です。
先日お参りに行ったお宅で、70歳を過ぎて、
「 自分の人生はこれでよかったのだろうか? 」
「 自分は生まれてきてよかったのか ? 」
このような疑問が次々と生まれてくるのです。
「 人はなぜ生きるのか ? 」
トルストイは 「 愛があるから 」 といわれていたと思います。
先日、『 ゴンジュニ 』 通称 『 ジュニ 』 が
突然去ってゆきました。
スタッフブログで 「 丸山さん 」 が紹介した
次の日でした。 とてもきつい別れでした。
『 ゴンタ 』 という、風采の上がらない皮膚病にもかかっている
ニャンコが菩提樹苑の事務所にやってきたのです。
付かず離れずの距離を保ちながら、
そのとき、どう見ても 『 ゴンタ 』 にそっくりの
子どもがやってきたのです。
『 ゴンタ 』 はオスですので、 「 父を訪ねて3千里 」
ということでしょうか。
それで 『 ゴンタのジュニア 』 ということで 『 ゴンジュニ 』
と命名され、普段は 『 ジュニ! ジュニ ! 』 と
呼ばれ、可愛がってもらっていました。
最近やっと、人に体を触らせるようになり、
丸山さんにはすっかりなつき、撫で撫でしてもらうのが、
一番の楽しみになったようです。
丸山さんが 『 ブログ 』 にアップした時が
最高に幸せな顔をしていました。
『 ジュニ 』 にとって、丸山さんとの出会いがなかったなら、
本当に 「 愛 」 ということを知らずに、
ただ、生まれてきて、ご飯食べて、必死に生きた
ということだったと思います。
たとえ短い時間ではあったと思いますが、
『 ジュニ 』 にとっては 『 愛してもらう 』 という
喜びを感じ取ってくれたと思います。
その一点において、『 ジュニ 』 の命は完成した
と思うのです。
最後になったブログの写真が本当に、
「 ありがとう!! ぼく幸せだったよ !! 」
と言っているように聞こえます。
私たち人間の使命は、声なき命の声を
聞いて、完成していく、ということが
人間の使命のように思います。
「 ゴンジュニ、ありがとう !
一生懸命の命
私たちの心にもゴンジュニを愛する心を頂きました。
ありがとう ゴンジュニ 」