この連休は、総理大臣を始め
政治家の方々は 「 外遊 」 でお忙しいようです。
別に遊びに行かれているわけでもありません。
しかし、外に遊ぶと書くのですね。
先日、熊本に帰った折、目にとまった
「 熊日新聞 」 第1面の 『 たから箱 』
いつも子供さんの詞が掲載されています。
その日は、
「 仕事 」 という題で、
岩根君、5年生が書かれていました。
子どもの仕事
遊ぶ 勉強する
大人の仕事
考えてと
夢ふくらむ
とても立派な詞に驚きます。
小学生といっても高学年になると
こんなことを考えているのだ
しかしまた、
こんな純粋な視点も見逃せません。
こちらは小学校4年生の詞です。
かお
ぼくは 母さんから生まれたのに
父さんに にている
父さんは よそからきたのに
ぼくは 父さんに にている
母さんのはらの中で
いつのまに
父さんに にたんだろう
こういう何でもないことに
ふしぎだな~ と感じる感覚は
とても大切な気がします。
こういう感覚は遊びの心からしか
出てこないような気がします。
すこし前でしたか??
「 いい仕事してますね ~ 」
という言葉がはやりました。
また、最近では、野球でもサッカーでも
「 いいプレイ ! 」 とは言わずに
「 彼はいい仕事した ! 」 といように
「 仕事 」 ということの方が、
「 やるべきことはやった ! 」 というか
「 自分のなすべきことをした ! 」 ということで
「 仕事をした 」
ということが遊びよりも上というような意味で
使われるようです。
しかし、
「 外遊 」 とか 「 遊説 」 という
ことばもあるように、
「 遊び 」 ということの意味には
単に、ギブ&テイク というような
お金には換算できないような、
意味合いが含まれていると思います。
やはり、本来は政治を司るということは
仕事ではない、身を捧げるという内容を
含んでいたからなのでしょう。
政治家や先生という仕事は
聖職とよばれたように
9時5時の仕事ではなかったのでしょう。
お坊さんも、本来は仕事を捨てた
まず最初に、人生の意味を考える
ということで、
托鉢やお参りに回ることを
「 遊行 」 ( ゆぎょう ) といいました。
遊びということも考えれば意味が深いものがあります。
仕事も命を懸けて悔いないほどのことを見出したら
それは遊びになるのでしょう。
だから、遊びになるまで
仕事ができたら、それは素晴らしいと思います。