弘法大師のご命日を 「 御影供 」 ( みえく )
といいます。
毎月21日はその命日に当たります。
東寺ではその日に限り多くの市が立ちます。
弘法市としても有名です。
弘法大師そのものには接することは出来ませんが
その 「 影 」 として感じ取ることができるのでしょう。
影を感じ、お供えをして、一月間の自分をふり返る
そういうことが 「 御影供 」 のお参りです。
「 おかげさま 」 ということも、
そういうところから出てきたのでしょう。
なにがこうしてこうなったかは、
分かりませんが、しかし、目に見えない力を
何かしら感じることができるのです。
彼は一年に一回、師匠の三浦先生の墓前に
お参りに来ます。
ときにはうっすら涙も浮かべ、
大きな声でお経を上げます。
彼にとっては、この日一日が 「 報恩講 」 です。
普段は忙しさにかまけて、自坊の檀務で精一杯
この日一日が先生の影を感じながら、
自分の一年間のことをふり返り、
また、一年間のしてきたことを
三浦先生の墓前に報告するのです。
そして、その三浦先生の御心を頂いて、
また、一年間頑張ることができるということです。
三浦先生の命日ではないのですが、
自坊の空いた時間というと、この月しかないのでしょう。
御影供とか、おかげさまとか、命日とか
やはり、人間はバックボーンになる原点に
還らないと本当の力は頂けないような気がします。
自分の原点から今の生活を見直す、
それが、報恩講であり、御影供なのでしょう。