本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

『伏見城と淀城』IN京都考古資料館

2017-05-10 21:25:00 | 住職の活動日記

「伏見城と淀城」というテーマで

その出土品や副葬品の展示が

京都考古資料館で開催されています。

 

 

堀川今出川を西に行った所に

京都考古資料館はあります。

もう建物自体が考古資料として

価値がありそうな、

 

 

たぶんしょわ初期の建物でしょう

 

 

結構長期にわたって開催されて、

6月25日まで、

 

安土桃山時代というように、

桃山というのは伏見のことで、

秀吉のころの政治の中心は伏見

大阪城は秀吉のプライベート

のようなものだったのです。

 

以前から気になっていた伏見桃山城

最初は指月城として宇治川沿いに

 

 

奈良へ行く国道24号線に面して

作られていたようです。

それが慶長の大地震で全壊、

その後東北の方角に当たる

木幡山に伏見城の再建

 

 

地図でいうと中央下が指月城

その右上が倒壊した後再建された

伏見城です。

 

 

この指月城を取り込むように

伏見城は大きな城として

再建されていきます。

 

この宇治川を挟んで

徳川家康の向島城は作られ、

伏見城と相対するような位置関係

になります。

家康は秀吉の死後この向島城から

伏見城へ入っています。(慶長4年)

また、家康は日本で最初に伏見の地で

銀座を開きました。

 

 

 

まあ、そのころの力を示すのでしょう

秀吉の「五七の桐」家紋に金箔を貼った

軒丸瓦が出土しています。

 

 

出土する瓦はほとんど金箔が張られ

 

 

いかに素晴らしいお城であったか

偲ばれるようです。

 

また、墓地の副葬品には

 

 

焼けたおにぎり

腐らないように焼いて

炭状(炭素)にして

亡くなった方に持たせたのでしょう

 

 

 

トウモロコシもあったり、

これも亡くなった方の好物

だったのかもしれません。

 

 

下駄、

今の人に比べればやや小ぶり

のような気もします。

 

 

かんざしや櫛に扇子、

 

 

漆器のお椀類も、

結構保存状態もよく

400年も前の生活が身近に

感じられます。

 

横には入れ歯の歯もあったり、

メガネのレンズもあったりと

愛用品を一緒に埋葬したようです。

 

その当時の歴史を垣間見る

なによりの展示会と思います。

 

入場無料、

是非ぜひ見て欲しい展示会です。

 

 

 

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