本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

諦める !

2017-10-24 14:24:09 | 住職の活動日記

西行法師は

俗名を佐藤義清(さとうのりきよ)

といって、北面の武士でした。

ところが、23歳のとき

親友の藤原憲康の頓死に遭い

世の無常を感じて出家得度しました。

時の、後鳥羽上皇は

出家を思い止まるよう

説得するのですが、

「惜しむとて 惜しまれぬべき

 此の世かな 身を捨ててこそ

 身をも助けめ」

と詠んで出家してしまいます。

 

お釈迦さまも伝説では

四門出遊(しもんしゅつゆう)

という物語で出家の動機を

説明しています。

お釈迦さまは早くに母を亡くし

何かと物思いにふける少年だった

のでしょう。

王様はじめ周りの人たちは

何とか気を晴らそうと計画します

そこで、城下の様子を見て回っては

どうかと勧めるのです。

そこで、

東の門から遊びに出ると

腰は曲がり顔はしわだらけの人に

出会います。

あの人はどういう人か?

あの人は老人といってみな人は

年とともにあのようになります。

それを聞くと

遊びに出る気持ちも失せて

お城へ帰ってしまわれます。

南の門から出ると、

病人に出会い

西の門からですと葬儀の列に

出会い

心も重苦しく

塞ぎ込んでしまわれます。

北の門から出た時に

身なりは貧しくても

顔が輝いている修行者に

出会われます。

あの者は道を求めて修行している人

ということを聞き、

なにかしら心惹かれるものを

感じられます。

 

やはり、出家得度ということは

世の中の相を明らかに見る

見きったからこそ

世の無常ということを感じ

真なるものは何かと

それを求め出家されたのです。

 

この事を仏教では

「第一義諦」(だいいちぎたい)

といいます。

まず一番先に考えなければいけない

ことという意味です。

 

よく忙しい、忙しいというと

そりゃたいへんですね!

何も言えなくなってしまいます。

忙しいのは善で

閑なのはまるで悪かのように

誰かが、

忙しいという字は

心を亡ぼすと書きます。

といっていましたが、…

 

よく見ると、

時間には限りがあります。

しかし、

本当に知るべきことは無限にある

だから、

金や地位や名誉と世俗のことに

躍起になっている暇はない

ということです。

 

しかし、

世の中のことは楽しいし

おもしろい

千変万化で目が離せない。

といいつつ

捨て難いものです。

 

『往生要集』を書かれた

源信僧都(げんしんそうづ)は

世の無常を明らかに見て

急ぎ、浄土へ参るべし、と

厭離穢土(おんりえど)

欣求浄土(ごんぐじょうど)

と説いておられます。

 

この世の無上さを明らかに見よ

すると厭い離れることができる

そうすれば自ずと

浄土を喜び求めることができると

 

何時まで経っても

ウロウロしているのは

本当に世の中の姿を

明らかに見ることが

できないのでしょう。

 

そういうことからすると

「諦める」、ということも

「明らかに見る」

ということがなければ

ほんとうにあきらめることは

できないのです。

 

「わかっちゃいるけどやめられない」

という歌がありましたが、

なんだか、

どこで分かっているのですが

まだ楽しみが欲しくて

うろうろ動き回っているのです。

 

「あきらめる」

諦める、と漢字で書けば

この世の中を明らかに見切る

という、

凄い言葉ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

コメント
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