本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

大文字の「大」の意味は?

2018-08-26 15:49:28 | 住職の活動日記

大文字はお盆の送り火ということは

分かるのですが、

なぜ「大」なのか

やはり諸説があるようです。

 

或る人は

弘法大師が東寺から都を護摩壇と

見立てて、両界曼荼羅の大日如来の

「大」という説や、

佛教大学の八木透先生は

中国の古代思想である「五大」に

由来すると言われておられます。

 

しかし、

「五大」という考え方は

仏教の考え方で、

地・水・火・風・空の五つの要素が

ものごとを構成している、

というものです。

ここから五輪塔婆も出てくるし、

また、空を除いた四つが「四大」

といって、人の身体を指し

病気の時は「四大不調」と言います

 

仏教辞典にはもう少し詳しく

書いてあります。

「大」というのは

大きい小さいの「大」ではなく

「大種」の略であると、

インドの言葉ではマハー・ブータと

いって、すべての物質の拠り所

になるものという意味です。

そして、

この四大(地水火風)を

その本質とその作用について

説明しています。

地は固さが本質で保つことが作用

水は湿り気が本質でおさめ集める

ことが作用と、

火は煖(なん)といって熱さが

本質で成熟させるのがその作用と

風は動きが本質で、

成長させるのが作用であると

このようにその本質的なものと

その働きについて述べてあります。

 

十地経講義でも

そのことがありましたので

少し紹介します。

「法界という言葉がありますが

 界という字も、漢字では

 領域という意味ですが

 インドの言葉では種族という

 意味になります。

 火というものと水というものは

 種族が違う。

 だから、火と水とは各々界を成す

 水というものは

 どこまでさかのぼっても水だと

 火から出てくるわけではない

 水は水から水になる。

 火はどこまでさかのぼっても

 火以外にはならない。

 そういうものは無限にはない。

 だから、地・水・火・風の

 四つになる。

 ギリシャでもインドでも。

 ただ、火になるというときに、

 火大、火界と、大とか界

 という字を付ける。

 それは一般者という意味です。

 だから、火といっても

 ただ燃えている火だけを

 いうんではなく、

 燃えること一般、

 水は潤すこと一般。

 一般者という意味で、

 大という字ををつける。

 川の水も海の水も

 潤い一般においてある。 

 川の水や井戸の水は、

 火大とはいわない。

 蝋燭の火というのは

 ただ火というが火大ではない。

 

 火は無数にある

 蝋燭の火から線香の火、

 電気の火と、同じ火はない。

 けど、熱さ一般というものは

 無数にはない。

 潤い一般においても同じことです

 それらが四つとか六つとか

 それによって、

 あらゆる世界の存在を

 尽くすわけです。

 それで法界という。

 火は火から火になる

 どこまでさかのぼっても 

 他から演繹されないようなもの

 それを海という。」

 

難しいことですが、

読みなおしてみると

何か分かるものが閃きが

あるのかもしれません。

 

大ということは大種ということで

すべての物質の拠り所となる

種ですからそこから生まれ出る

その元になるものを

表したのでしょう。

 

もし、仏教の五大から出たと

考えるなら、

こういうことも言えるのではないか

と、思うのですが、

もう少し単純な発想から大の字が

生れたのかもしれません。

 

まあ、諸説ありです

たまたま、十地経の講義を

読んでいて、

「大」ということに就いて

述べてあった箇所がありましたので

紹介させていただきました。

 

 

 

 

 

コメント
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