本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

多様性・個性・独尊

2020-01-16 20:32:14 | 住職の活動日記

昨日の茂木先生のお話で

一つキーワードになった言葉に

「多様性」ということがあります

人はそれぞれ違う

姿かたちも違うように

考え方も違う、脳が違う

ということです

講演の中では、

東国原さんや橋下さんの例で

話されていましたが

ああいう考え方はそれぞれ脳が

違うということです。

それぞれ脳の作りが違うのだから

考え方も違ってくる

十人十色です。

 

そいう意味で

多様性を認められたのは

お釈迦さまもそのお一人

ではないかと思います

お釈迦さまの十大弟子といっても

それぞれ強烈な個性の持ち主

何かに秀でた方々です

記憶力とか説得力とか

 

そのようなお弟子の中で

際立っているのは「周梨槃特」

(しゅりはんとく)という方

自分の名前も忘れるくらい頭が

悪かったということです

あんな馬鹿な人が

お釈迦さまの教団にいるのは

お釈迦様の名前を汚すことに

なります、破門しましょう

と、他の弟子たちが言うのですが

偉いとか賢いということと

悟りを開くことは別問題として

周梨槃特に箒を与え

「塵を払わん・垢を除かん」

この文句だけ唱えて修行しなさい

ということで悟りを開いたという

 

ですから、頭の良しあしと

目覚めるかどうかということとは

関係ないということです

お釈迦さまはそれぞれのあり方を

尊重されました

一概に仏教といっても

いろいろな形があります

真言宗のように護摩を焚いたりと

また、只管打座といって

ひたすら座禅するという禅宗

専修念仏という

南無阿弥陀仏の念仏を唱える

浄土系の仏教というのがあります

 

しかし、よく考えてみると

お釈迦さまも

さとりを開かなかったら

それこそひどい人です

王子でありながら国を捨て

妻も捨て、子供も捨てて出家した

出家といいますけど

すべてを放棄したのです

常識から言えばこんな無責任な

ことはないと思います

 

お釈迦さまがさとりを得て

国に帰ってこられた

それを見たお釈迦さまの妻は

息子に、

「あの人が私たちを捨てて

 出て行った人です」

文句の一つも言いたかった

のでしょう

息子をお釈迦さまのもとへやると

お釈迦さまの話に頷き

息子も出家してしまう。

 

お釈迦さまのお弟子も最初は

少人数だったのですが

話を聞き付け

教団を率いていた人たちが

こぞって弟子になります

それで教団は大きくなるのですが

お釈迦さまは

自分の考え方にするのではなく

それぞれの考え方を大事にされ

教えの根幹になる部分だけ

諸行無常とかの四法印だけは

おさえてやり方はそれぞれに

任されたのでしょう

 

経典を見ると

三帰依・四法印・四弘誓願

などはどの宗派も共通で

お経になると

各宗派で異なってきます。

そういうところから

お釈迦さまはそれぞれの個を

大切にされたのです。

 

茂木先生の話に依ると

今、日本の教育が大きな転換点に

来ているということです

これからは多様性を大事にする

個性を伸ばしていく教育が

重要になってくるのでしょう。

 

面白いことに

仏さまのことを如来ともいいます

如からやって来た

如というのは「ありのまま」

ということです

自分の本当の姿、ありのままの姿

それが自分自身に現れた

それを如来と

その個性こそ尊ぶべきもの

独尊というのは

自分のありのままが現れた

他に代え難いもの

代えることができないもの

だからこそ尊いのだと

 

お互いに多様性を認め合って

お互いが尊いという世界が

あるように思います。

人間幾つになっても

可能性はあると

若い人はなおさらのこと

 

そういう世界を望みますが

あまりにも先入観が充満した世界

では難しい面もあります。

そういうことがないと

これからの世界では

戦っていけないとおもうのですが

…  …  …

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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