本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

大器晩成

2020-01-25 15:00:47 | 住職の活動日記

鐘や鼎のような大きい器は

簡単には出来上がらない。

人も、大人物は才能の表れるのは

遅いが、徐々に大成するもので

ある。と

広辞苑には出ています。

また、

こういう歌もあります

「大器晩成

  還暦過ぎて

   いまだ成らず」

なるほどと思う一句です。

 

この熟語も使いようで

なかなか子供さんの才能とか

良い面が見つからないとき

「この子供さんは大器晩成です」

といわれると

そうか! 大器晩成か!

と、妙に将来に向かって

期待をするものです。

ところが、

もう還暦を迎えたというのに

今だ普通のまま何の取得もなく

平々凡々と人生も終わりに

差し掛かった、という

実感のこもった歌のようです。

 

しかし、

先日お参りしたお寺さんの

本堂横の額に

 

 

確か、浄土宗のお寺さんです

「愚還」

(ぐげん)と読むのでしょうか

愚かに還る、

スティーブジョブズさんも

ステイ・フーリッシュと

愚直であれ、といっておられます

 

愚かということも大事なことです

親鸞聖人も「愚禿釈親鸞」と

名乗られています

おろかな、はげあたまで

お釈迦さまの弟子であるという

意味で、「釈」の字を入れて

おられます。

 

安田先生の講義の中に

「落在者」

ということがでてきます。

落ちてそこにある。

 

私たちは何かしらないけど

人に負けまいと背伸びしたり

無理をしたりして

落ち着かない日々を過ごしています

よく、

「手を放してごらん

 すぐ下は地面出足が付きますよ」

と言われているのに

手を離したらもうだめ! と

一生懸命手を離さないでいる

そういうことを言われました。

 

ぶら下がって、不安定な自分

手を離すと

そこには動かない大地がある

手を放して落ちてみれば

そこは落ち着く平安な所

そこがなかなかわからない

何か知らないが、

自分の一物を立てて

それにしがみつき

それが絶対と思い離さない

 

そういうのが

迷いの姿かもしれません

「愚還」

愚かという自分に立ち戻る

そこに本当の安心の世界が

見出せるのでしょう。

 

たまに趣味は?

と聞かれる

返事に困るのはこれといった

趣味というものがないのです

三浦先生から

人生を趣味で生きてはいけない

と、忠告もされたのです

ところが、

そのせいではないと

最近ではつくずく思うのは

自分は何の取得もない

キャッチボールも出来ないし

スポーツと名の付くものは

何もできない

かといって

勉強ができるかといえば

そうでもない

人との交際も上手かといえば

それもできない

ということで趣味と言えるものが

ないというのが現実です

 

老人大学では

趣味をもって残りの人生を楽しく

生き甲斐を持って行きましょう

と言われるのですが

趣味に没頭できれば

幸せなのですが

どうも満足できないという。

 

そこで、気が付いたのは

「愚」ということです

大器ではなかった

ただの石ころであったという

ある面、よかったと思える

何かしら自分が

本当の自分に落ちてきたような

そういうことが

嬉しいように思います。

 

 

 

 

 

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