本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

○○不生位(お坊さんの戒名)

2020-01-22 20:42:31 | 住職の活動日記

お位牌の下には、

「○○之霊位」とか「○○位」

またはそういうものがなく

ただ、「釈○○」というもの

など、宗派によっていろいろです

今日の先輩のお葬儀

お坊さんですので位牌の文字は

シンプルでお坊さんの位と

僧名その下に「不生位」と

書いてあります。

 

お坊さんは簡単で、

「空海」とか「親鸞」とか

二字だけが戒名です

そしてその下に「不生位」と

不生??

生まれない、ということですが

仏さまの中に「阿羅漢」という

方がおられます

羅漢さんとも呼ばれています

 

この阿羅漢というのは

そのまま音写した言葉で

訳した言葉は

応共(おうぐ)、殺賊(せつぞく)

不生(ふしょう)、真人(しんじん)

ということになります

 

応共というのは、

供養を受けるに相応しい人

殺賊は、煩悩の賊を殺害した人

翻訳にしても何か物騒な

気がしますが、煩悩を滅した

ということでしょう

そこで、

「不生」というのは

仏の涅槃の世界に入って

もはや迷いの世界に生まれない

ということです。

 

仏さまでも十号(じゅうごう)

といって10の名前を

持っておられます

これは、「仏」といっても

一言では表しつくせない

ということで多くの名を

持っておられます。

この阿羅漢の場合は

「阿羅漢の三義」といって

応共・殺賊・不生という

この三つでもって阿羅漢の内容

を表しています。

 

不生ということと

似たような言葉で「不退」

という言葉があります

退かない、

この言葉もよく『十地経』に

出てくる言葉です

さとったところの菩薩の地位や

さとった法を退失しない

失わないということです

 

禅定に入って、つまり三昧に

入っている時は心静かなのですが

禅をやめてしまうと

もとの心の状態に戻ってしまう

それが三昧も深くなってくると

もはや元の状態には戻らない

四六時中、禅定三昧というのです

歩くも住するのも立つのも

座るのも全部禅の中だと

行住坐臥ですね

 

道元禅師は書かれた中に

顔の洗い方、トイレの作法

日常生活の細かいところまで

注意書きをしておられます

まさに「神は細部に宿る」です

こういうことまで書かれたのは

道元禅師だけらしいです

 

生活すべてが禅の中にあるのだと

禅をしているときだけが

禅ではなく、寝ても起きても

歩く時もトイレに入る時も

すべてが禅の作法にかなっている

というのです

 

そうなってこそ「不退」という

ことが適ってくるのでしょう

「不生」ということも

日常生活のすべてが法に適う

仏の行になってくる

そういうことでもはや

迷いの世界に戻ってくる

ことはない、生まれない

ということになるのです。

 

不退と不生とは厳密には

違いがあると思いますが

何かしら似たような意味合いを

感じるのです。

 

今日は朝から

一日先輩と共にしました

ごつい人だったので

やはりお骨も立派なものでした

初七日を済ませ夕刻、帰路に

つきました。

ご家族の心の中に生き続けられる

でしょうが

それは仏心(ぶっしん)として

別な意味での父として

生き続けられるのでしょう。

 

 

 

 

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